森有正エッセー集成 索引

森有正エッセー集成(ちくま学芸文庫)の索引

[語彙][哲学]回帰還る

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/1/10: 267(一人一人の人ごとに繰り返される永遠の回帰)
  • 1967/3/30: 346(ジャン・マリ・ドムナックの「悲劇への回帰」)
  • 1967/3/31: 349(ジャン・マリ・ドムナックの「悲劇への回帰」)
  • 1967/6/9: 416(回帰!)
  • 1967/6/18: 436

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「初秋のパリから」: 221(過去に内面的に回帰する)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 196

[事項][宗教]回教イスラム教

[語彙]邂逅、出会い

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/19: 047(復活したキリストとマグダラのマリアとの園の中の邂逅)
  • 1956/5/9: 164, 167(モノ氏との邂逅)
  • 1956/9/2: 194(出会い)
『流れのほとりにて』
  • 1957/9/23: 389(自然の質と人間の質とが邂逅したもっとも幸せな例)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/9/13: 231(ティチアンの「エマオの邂逅」)
  • 1966/11/27: 307(邂逅、別離、孤独、死), 311(パスカルデカルトに本当に出会い始めている)
  • 1967/5/28: 378-379
  • 1967/6/18: 436
  • 1967/8/30: 474(ものとの邂逅)
  • 1967/8/31: 481(原初的出会い)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「パリの生活の一断面」: 165(出会う新しい事態)
  • 「ルオーについて」: 171(偶然の出会い)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 132, 137-138
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 264(パリとの出会い)

[語彙]解釈説明

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/19: 049
  • 1954/2/16: 122(解釈も説明もなく)
  • 1956/8/30: 187(心理的解釈)
  • 1956/9/3: 201
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 215, 216(純粋器楽曲全体の解釈)
  • 1957/6/16: 300(文学的解釈)
  • 1958/5/5: 468

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 014
  • 1958/11/19: 049(心理学的な解釈)
  • 1958/12/31: 082
  • 1959/8/19: 097
  • 1959/10/2: 137, 139
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 169(意味の解釈), 181
  • 1966/11/27: 311
  • 1967/5/28: 380
  • 1967/6/6: 393

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 101(希望的解釈)
  • 「パリの生活の一断面」: 164
  • 「ルオーについて」: 204
ノートルダム寺院を主題にする」

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 146, 148, 153, 158

[語彙]外人、外国人、異国人→日本人フランス人

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 013
  • 1956/4/12: 162(パリの異国人社会)
『流れのほとりにて』
  • 1957/6/14: 299
  • 1957/9/12: 356(外人である僕)
  • 1957/9/22: 377(外人がヨーロッパ文明を判ること)

集成2

『城門のかたわらにて』
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 162
  • 1966/9/8: 293
  • 1967/3/16: 330(外人講師の地位)
  • 1967/3/26: 335(外国人)
  • 1967/4/6: 352(外国人としての生き方)
  • 1967/5/26: 374(外国人のあの日本語)
  • 1967/6/8: 407(「外つ国人」的性格)
  • 1967/6/9: 416(「外つ国人」)
  • 1967/6/10: 419-420(「外つ国人」性)
  • 1967/6/16: 431(異邦人), 432(外つ国人)
  • 1967/8/30: 467(外人)
  • 1967/8/31: 485(東京に、外国人のように接触する、ということ)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 011
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 049, 067(外人), 070
  • 「パリの生活の一断面」: 136(責任体系を異にする外人の中), 150
  • 「ルオーについて」: 180
  • 「滞日雑感」: 226, 232
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 053, 066
  • 「旅の空の下で」: 070
  • 「一九六八年の夏の反省」: 106(外人)
  • 「『ことば』について」: 141(日本語を学ぶ外人), 142-145
  • 「文化の根というものについて」: 178
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 187
  • 「偶感」: 233(居留外人)
  • 「シャルトルと法隆寺」: 250
  • あとがき: 255

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 193
  • 「感想」: 209
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 317(一外国人としての), 318(一外人として、フランスで生活しうる生活)

日記

  • 1967/12/14: 3-445
  • 1968/3/3: 4-521
  • 1968/12/28: 4-542
  • 1969/9/20: 4-575

[語彙]諧和→調和

[語彙]還る、自分に帰る、還す→回帰

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 018(ある静けさに還ってゆく)
  • 1953/12/25: 086(遠くから自分にかえって来ること)
  • 1953/12/26: 090(遠くから自分にかえって来た僕)
  • 1953/12/27: 098-099, 103(精神の還帰)
  • 1954/1/5: 106(自分にかえってくる道程), 108
  • 1956/4/9: 158(本来の姿に還った対象)
  • 1956/8/29: 178(本来の姿にかえった)
  • 1956/9/3: 201(すべてが静けさの中に還ってゆく)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/26: 262(対象そのものに還った)
  • 1957/6/10: 288(魂の生命に還る), 291(自己に還る)
  • 1957/7/5: 311(自然に還る)
  • 1957/7/7: 315(いつも自分に考えが還って行く)
  • 1957/7/18: 323(普遍に還る), 324(再び自分に還って来る)
  • 1957/8/23: 348(自分へ還る)
  • 1957/9/14: 369(ギリシアに帰ること), 370(人間になる源泉に帰る)
  • 1957/9/22: 383(真の位置に還す), 384(ギリシアから自分に還る)
  • 1957/9/23: 387(自然から出て自然に還る人間の営みの姿), 388
  • 1957/12/22: 399(自己が自己に還る)
  • 1958/2/24: 433(自己へ還る)
  • 1958/3/6: 439(本来の姿に還る)
  • 1958/3/13: 441(すべてが、それぞれの所にかえって)
  • 1958/4/22: 451(元の自分に戻った)
  • 1958/4/25: 455(現実が夢に還ってゆくというこの過程)
  • 1958/4/27: 455(現実が夢に還ってゆくということ)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1956年 初夏: 197(人間は自然から出て自然に還る)
  • 1956/7/15: 199(自然に還り), 202(不断に源泉に立ち還らなければならない必要)
  • 1963/9/7: 212(自分の前に還って来た)
  • 1963/9/8: 221(自然に還ること)
  • 1963/9/10: 224(探すために辿る道が、いつも自分に還って来るからだ)
  • 1966/9/18: 301(外界が外界に還った今)
  • 1966/11/27: 307(ものと人とは、本当にものと人とに還らなければならない), 310(パスカルがかれ自身に還る、ということ)
  • 1967/3/11: 327(私が現にあるものに、断乎として帰ること)
  • 1967/3/31: 350(あの恐怖の猿が、またも私に還ってくる)
  • 1967/4/11: 358
  • 1967/6/9: 416(放蕩息子の帰還)
  • 1967/8/30: 471(二重の距離感となって還って来た)
  • 1967/8/31: 476(帰還), 480(所謂日本的還帰), 484(ものが徹底的にものに還って行く)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 079(対象が対象そのものに還る), 082(日本とフランスとが日本とフランスそのものに還るということ), 090(日本そのものの源泉に還ろうとしたこと), 094-095(対象がそれ自体に還る時)
  • 「ある夏の日の感想」: 121(自然に還れ), 125(自然に還る), 127, 134(自然と歴史の根源に還る)
  • 「ルオーについて」: 192
ノートルダム寺院を主題にする」
  • 「黄昏のノートルダム」: 265(自然に還ってしまった遺跡), 267-268(自然に還る), 287(限りない分散から再び統一へと還る)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 024(ものがものに還る), 035(純粋なものに還る), 056(ものがものに還る), 058(対象に還ったものの対象性)
  • 「旅の空の下で」: 089(古い伝統に還る), 102(自分に還る)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 205, 206

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 157
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 301

[人名][宗教][日本]垣花秀武

日記

  • 1967/1/6: 3-430

[語彙]核→原子爆弾

[語彙]「書く」、書くこと

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/8/19: 343(それでも僕は書き続けなければならない)
  • 1958/5/5: 467

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/17: 093-094
  • 1959/9/3: 116

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/3/16: 331(著述家として自己を定着する決定)
  • 1967/5/14: 368(ものを書く人間)
  • 1967/5/26: 374(日本語で正確に書くことが出来ること)
  • 1967/8/30: 474(自分がものを書く、ということ)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「思索の源泉としての音楽」: 213

集成4

『旅の空の下で』

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 319(私の「書く働き」)

日記

  • 1968/1/28: 4-498
  • 1973/3/6: 5-498
  • 1973/3/28: 5-501

[語彙]学者哲学者学問

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/22: 065(純良で手がたい学者的な風格)
  • 1956/5/9: 164(偉大な学者), 165(美学者), 166(物理学者), 168(デカルト研究者)
  • 1956/8/30: 183(科学者)
  • 1956/9/2: 197
  • 1956/9/3: 201(ドイツの文学者)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/26: 264(文学者)
  • 1957/12/29: 404
  • 1958/3/14: 445
  • 1956/5/9: 164, 165
  • 1958/4/30: 463(スコットランド人の数学者)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/24: 068(誠実な学者)
  • 1959/8/19: 097
『砂漠に向かって』
  • 1966/8/31: 280(フランスの学者の仕事)
  • 1966/9/7: 292(学者)
  • 1967/4/23: 367(当地のさる日本学者)
  • 1967/5/28: 380(大神学者
  • 1967/6/9: 415(聖書学者)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 019(学者は学者なりに)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 056(哲学の老大家)
  • 「パリの生活の一断面」: 156(文法学者)
  • 「ルオーについて」: 173(中世フランス語学者), 176(形態学者)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 029

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 297

日記

  • 1970/12/29: 5-368

[事項][場所][東京]学習院

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1954/2/16: 118

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/5/15: 370
  • 1967/5/26: 373

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 012

日記

  • 1971/2/25: 5-393

[語彙]覚醒、目醒める

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 023(精神の覚醒)
  • 1954/1/5: 113(目醒めた)
『流れのほとりにて』
  • 1958/2/15: 425(日本人で思考に目醒めていくもの)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 007
『砂漠に向かって』
  • 1963/9/13: 229(目醒めて行く), 230(目醒めはじめた)
  • 1967/6/6: 396(目醒めつつある)
  • 1967/6/10: 419(目醒めなければならない)
  • 1967/6/14: 430(怠惰なうたたねから目醒める)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 108
  • 「滞日雑感」: 226(人の感覚を目ざめさせる場所)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 101(深い責任意識の覚醒)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 126(性の目醒め)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 193, 200(異国で目醒めたこの感覚), 201

[語彙]学問、学究、学芸、研究

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/14: 032
  • 1953/10/20: 056
  • 1953/10/24: 069
  • 1953/12/25: 081, 086, 087
  • 1953/12/26: 092(仕事(研究))
  • 1954/1/5: 113
  • 1954/2/16: 118
  • 1956/3/24: 129(芸術、学問、宗教)
  • 1956/3/26: 140(煩瑣な考証的研究)
  • 1956/3/27: 143(デカルト研究)
  • 1956/5/9: 165(実証的研究), 167(科学的文学研究)
  • 1956/8/30: 189(生物の研究)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/16: 212
  • 1957/6/1: 279(研究)
  • 1957/6/27: 307(ヨーロッパの学問の本当の意味)
  • 1957/7/5: 308(学問的見地)
  • 1957/7/29: 337, 338
  • 1958/2/10: 420(本当の学問), 421
  • 1958/2/15: 424(分析的な研究方法の勝利)
  • 1958/2/17: 428

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/4: 033
  • 1958/11/12: 045(「研究」)
  • 1958/12/16: 065
  • 1958/12/25: 071(研究)
  • 1959/8/19: 095(愛情、欲望、学問、仕事など)
  • 1959/10/11: 152(仕事とか研究とかという高尚なこと)
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 184
  • 1963/4/13: 207
  • 1965/12/5: 254
  • 1966/1/10: 266(吾十有五而志于学)
  • 1966/1/12: 270(研究)
  • 1966/9/5: 288(学問上の問題)
  • 1966/9/8: 293(非学問的)
  • 1966/9/14: 296(生徒の学究心)
  • 1966/9/14: 298(東洋史の学習)
  • 1966/11/27: 309(日本のフランス学の研究)
  • 1967/3/11: 329(研究計画)
  • 1967/3/16: 330(哲学的研究)
  • 1967/3/18: 332(研究発表), 333(知識的研究)
  • 1967/3/28: 340(研究)
  • 1967/4/6: 351(言葉そのものの研究), 352(将来の研究)
  • 1967/4/19: 362(研究)
  • 1967/5/14: 369(聖徳太子の研究)
  • 1967/6/3: 385(研究段階)
  • 1967/6/27: 445(ヴァレリー詩学
  • 1967/8/21: 452(芸術とか学問とか、そういう高尚なこと), 453

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 013, 034(研究)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 054, 059(研究)
  • 「遥かなノートルダム」: 080(「驚くべき学問の根底」)
  • 「パリの生活の一断面」: 135, 137, 141(学問めいたもの), 142(学問研究), 157, 160(学問の進歩), 162
  • 「ルオーについて」: 176
  • 「滞日雑感」: 232
  • あとがき: 243(学問的論文)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 037, 043, 052
  • 「旅の空の下で」: 099(研究活動)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 105(ヨーロッパを対象とする学問と大学), 116(学術の研究と教育)
  • 「文化の根というものについて」: 161(ヨーロッパの学問と思想との深さと厳しさ), 163(思想研究), 164-165, 167(研究), 168(フランスに於ける学問の基礎的条件), 174, 175(学究), 178(本当の学問), 180, 182
  • 「偶感」: 240
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 259(研究)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 101
  • 「わが思索わが風土」: 190(学究生活), 197
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 298(学問の自由)
  • 「三十年という歳月」: 309(学位論文), 317(私の専門の研究), 318(私のささやかな研究)

[事項][文学][日本]蜻蛉日記日本文学

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/3/26: 140

日記

  • 1956/12/29: 1-515
  • 1970/2/25: 5-329

[語彙]過去歴史

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 008
  • 1953/10/14: 032(過去の虚像)
  • 1953/10/18: 046
  • 1953/10/19: 048
  • 1953/10/20: 060, 061(過去の黄昏)
  • 1953/10/22: 065(過去の映像)
  • 1954/2/16: 116, 117-118(かなしみとむごたらしさの堆積している僕の過去)
  • 1956/3/24: 128(僕の全過去)
  • 1956/3/26: 136, 137
  • 1956/4/1: 150-151(僕そのものの過去), 152(モンテーニュ個人の過去)
  • 1956/5/10: 169(過去に向かって進んでいく汽船の船尾)
  • 1956/9/2: 193
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 227
  • 1957/4/27: 270
  • 1957/6/27: 305(遥かな過去の黄昏), 306(僕の過去の歴史)
  • 1957/7/7: 315(厖大な過去の探求), 316(厖大な過去の伝統)
  • 1957/7/18: 322, 324
  • 1957/8/19: 341
  • 1957/8/22: 346
  • 1957/9/15: 375(本当に終結した過去), 376(完全に終わった過去)
  • 1957/9/30: 392
  • 1957/12/29: 405(過去七年)
  • 1958/1/1: 407(過去八年)
  • 1958/2/16: 427
  • 1958/2/24: 432, 433, 434(日本の過去の文化的所産に表われた感性の通時的(diachronique)特性と内容), 435
  • 1958/3/7: 439(過去の全体)
  • 1958/3/14: 445(過去の思索の重み)
  • 1958/4/30: 464

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 013
  • 1958/8/3: 020
  • 1958/11/4: 032, 035, 036
  • 1958/12/13: 058
  • 1958/12/14: 063
  • 1958/12/27: 075(過去を後悔しない), 076
  • 1959/1/3: 087
  • 1959/9/28: 128
  • 1959/10/3: 142(僕の過去全体)
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 165(過去の世界の中の存在), 171(自分の貧しい過去の色ガラス), 188
  • 1963/4/13: 202(過去の人々)
  • 1963/9/17: 239(過去に蓄えた数々の映像)
  • 1965/12/30: 258(過去十何年かの間)
  • 1966/1/10: 268
  • 1966/1/26: 276
  • 1966/3/28: 277(過去のパリで過ごした年月)
  • 1966/9/5: 288(過去十六年)
  • 1966/9/14: 297-298(過去からの解放), 299
  • 1966/11/27: 309
  • 1967/4/6: 353(過去を大きく取り戻すこと)
  • 1967/4/22: 365
  • 1967/5/28: 380(過ぎ去った過去の生の諸形態)
  • 1967/6/5: 390(過去の噴出)
  • 1967/6/9: 415
  • 1967/8/30: 460(過去のエヴォカシオン)
  • 1967/8/31: 480-481(過去の映像), 482(過去の私)
  • 1967/11/4: 493(その人の全過去が構成しているもの)
  • 1967/11/7: 495(私の背後にある全過去), 496(過去と現在と未来)
  • 1967/11/14: 500(人類の全過去)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 014, 033
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 041, 045(過去の闇), 049-052(自分の過去), 055(過去一世紀), 057, 063, 068, 070, 073
  • 「遥かなノートルダム」: 089-090, 092, 093(過去のなつかしい追憶), 094(たそがれのような色調の過去)
  • 「ある夏の日の感想」: 123(過去と伝統)
  • 「パリの生活の一断面」: 163-164
  • 「ルオーについて」: 184, 208
  • 「思索の源泉としての音楽」: 210(過去数十年の私の半生), 212
  • 「滞日雑感」: 223(過去四十年間), 233(過去一世紀), 237(過去の延長), 240-241(過去の情念)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 018, 033, 042, 046, 048, 060, 063(過去の一世紀), 068
  • 「旅の空の下で」: 099(自分の過去の営み)
  • 「文化の根というものについて」: 165, 168(フランスは過去の国), 173, 179
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 186-188, 199
  • 「初秋のパリから」: 220(過去の意識), 221
  • 「偶感」: 235
  • 「シャルトルと法隆寺」: 254, 255
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 281(過去の感銘), 282(過去の印象), 283(遥かなる過去)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 018, 035(本当の意味での過去を大切にすること), 041
  • 「木々は光を浴びて、……」: 055
  • 「パリで中国を想う」: 111, 125(日本の過去の行動), 130
  • 「大陸の影の下で」: 143, 148, 154
  • 「わが思索わが風土」: 183-184
  • 「パリ」: 273
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「八月十五日の感想」: 288
  • 「現下の時点にあたって思う」: 296
  • 「三十年という歳月」: 305(過去三十年), 309(日本の過去), 314, 318(過去の苦しみ)

[語彙]家族、家庭→祖母息子親子家、家の問題

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 007
  • 1956/8/5: 171(家庭)
『流れのほとりにて』
  • 1958/4/22: 453

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 011
  • 1958/12/14: 062
  • 1959/9/1: 114
『砂漠に向かって』
  • 1963/4/13: 207
  • 1963/9/7: 213(家族)
  • 1963/9/17: 238(家族の雰囲気)
  • 1965/12/29: 255(家庭生活)
  • 1966/12/1: 316
  • 1967/3/11: 329
  • 1967/3/18: 353(家庭の諸問題)
  • 1967/4/8: 354(家庭), 355(家庭に関する法律上の問題)
  • 1967/4/19: 362(家庭)
  • 1967/4/22: 363(家庭的問題)
  • 1967/6/9: 415(自分の家族に対する愛と憎しみとの只ならぬ交替)
  • 1967/6/28: 447(典型的なブルジョワの家庭)
  • 1967/11/3: 485(家族や友人達)
  • 1967/11/4: 491(家族)
  • 1967/11/8: 497(家族のこと)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 120(義兄), 132(親類)
  • 「ルオーについて」: 195(稚い子供のいる家族), 200
  • 「思索の源泉としての音楽」: 211(家族)
  • 「滞日雑感」: 240(家族主義的心情)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 032(古い家族主義), 033(家族的), 038(一家、夫婦関係), 048(家族主義), 050(家庭), 060
  • 「旅の空の下で」: 098(家庭の問題)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 047
  • 「感想」: 216
  • 「パリ」: 265, 265-270
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 316(ささやかな家庭が作られたこと)

[語彙]形→フォルム

[語彙]克己

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/15: 036(克己と規律と仕事)
  • 1956/3/24: 129(自己に克とう)
  • 1956/3/27: 144(東洋流の克己心)
  • 1956/3/30: 146(忍耐と克己)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/21: 248
  • 1957/6/3: 282(自分に克つこと)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 008
『砂漠に向かって』
  • 1965/12/29: 255(打ち克たなければならない自分)
  • 1966/1/10: 265(自分に克つだけである)
  • 1966/9/18: 301(自分に克つこと、ただそれだけ)
  • 1967/6/18: 436(自己制御)
  • 1967/8/31: 488(自己の自己に対する戦闘)
  • 1967/11/8: 497(自分との戦い)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 049(相手に勝つということは本当は自分に勝つことだ)
  • 「遥かなノートルダム」: 095(自己の自己に対する不断の戦い)
  • 「ルオーについて」: 190

集成4

『旅の空の下で』
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 275(自己に克って築き上げたあらゆる精神的なもろもろの価値)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「感想」: 222
  • 「パリ」: 276(自己に打ち克つこと)
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 299(自己を支配克服すること)

[語彙]学校→暁星学校、東京大学、東洋語学校

[人名][日本]加藤周一

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/9/7: 291
  • 1967/6/10: 418

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「思索の源泉としての音楽」: 217
ノートルダム寺院を主題にする」

日記

  • 1959/6/18: 2-538

[事項][宗教]カトリック、カトリシスム→キリスト教

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 022(僕はカトリックではない), 024(中世以来のカトリシスム)
  • 1953/10/22: 064
  • 1953/10/24: 071(中世カトリシスムのマリアとキリストとに対する信仰)
  • 1953/12/26: 093
  • 1953/12/27: 105(カトリックウェストミンスター
  • 1956/9/2: 198
『流れのほとりにて』

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/24: 069
  • 1959/8/25: 109
  • 1959/9/6: 119
  • 1959/9/7: 124
『砂漠に向かって』

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 030-031, 033-034
  • 「パリの生活の一断面」: 143, 161
  • 「ルオーについて」: 178, 185, 205-206
  • 「思索の源泉としての音楽」: 211
  • 「滞日雑感」: 227
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 075
  • 「文化の根というものについて」: 162, 172, 177
  • 「初秋のパリから」: 217

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 186
  • 「パリ」: 261, 267

日記

  • 1957/5/20: 1-555
  • 1959/3/15: 2-509
  • 1959/3/16: 2-510
  • 1959/3/24: 2-525
  • 1964/9/15: 3-375(第二ヴァチカン公会議が始まる)
  • 1965/3/17: 3-394-395(夢の中で僕はカトリックに改宗していた)
  • 1967/12/25: 3-477
  • 1971/4/2: 5-418
  • 1972/12/29: 5-493
  • 1974/6/3: 5-504

[語彙]かなしみ、悲しみ、悲哀、かなしさ、悲しい

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 008
  • 1953/10/9: 013(感傷的なかなしさ), 014(悲しい音楽), 016, 017(悲哀)
  • 1953/10/13: 026(悲しい経験), 028(凄まじい悲しみ), 029(無限の悲しみ), 030
  • 1953/10/14: 031(悲しみの影)
  • 1953/10/15: 037(悲しい一日)
  • 1953/10/18: 046(内心の寂寥と孤独と虚無)
  • 1953/10/19: 055
  • 1953/10/20: 061
  • 1953/10/31: 079(本当のかなしみ)
  • 1953/12/25: 085(無限のかなしみ)
  • 1954/1/5: 107
  • 1954/2/16: 117(運命と結びついた悲しみ), 118(本当のかなしみ), 119(かなしみの本態), 120(空間のかなしみ), 121
  • 1954/3/3: 125(ドストエーフスキーのかなしみ)
  • 1956/3/24: 128, 130
  • 1956/3/30: 146(悲しみの音楽)
  • 1956/4/1: 149(寂寥)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 222, 227(寂寞の感)
  • 1957/4/19: 231
  • 1957/4/20: 241(寂寥の感)
  • 1957/4/28: 270(無限の悲しみ), 271
  • 1957/6/1: 275(悲しみに崩れていく情感とそれに耐えていく意志)
  • 1957/6/3: 285(深い深いかなしみ), 286(かなしみの記憶)
  • 1957/6/10: 290
  • 1957/6/14: 299(何だか悲しくてたまらない)
  • 1957/6/27: 305, 306, 307
  • 1957/7/5: 312
  • 1957/7/20: 328, 329
  • 1957/8/19: 343(深い悲しみ)
  • 1957/9/13: 365(無関心、悲哀、憧憬、絶望が混合したような、妙な気持)
  • 1958/2/2: 410(白々とした悲しみ)
  • 1958/3/6: 438

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 030
  • 1958/11/19: 048, 049(悲しいコンプレックス)
  • 1959/10/2: 140
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 179(わびしさ)
  • 1963/4/13: 205(わびしさ、あるいはかなしみの本体)
  • 1963/9/13: 230(深いかなしみ)
  • 1966/11/30: 315(内面の虚しさと悲しみ)
  • 1967/3/31: 349(名状し難い悲しみ)
  • 1967/5/28: 379(悲しみと孤独)
  • 1967/6/9: 416(言葉で表わせぬ悲しみ)
  • 1967/8/30: 456(かすかな、把えがたい悲しみ) 457(悲しみに似た想い), 458(地中海の「かなしみ」), 460(過去のよろこびやかなしみ)
  • 1967/11/3: 486(喜びと悲しみと憧憬との一つの世界)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 067
  • 「ある夏の日の感想」: 121, 130
  • 「思索の源泉としての音楽」: 212(悲哀)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「文化の根というものについて」: 181
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 195(どんな憂鬱で甘美な旋律も体現しえない悲しみそのもの), 196(理由のない悲しみ)
  • 「初秋のパリから」: 213-214(「心のかなしみ」INQUE TUM COR), 217

日記

  • 1965/9/2: 3-421(悲しみとも絶望とも何とも判らない気分)

[語彙]金、金銭

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 020(日本へかえる旅費)
  • 1953/10/14: 031
  • 1953/12/26: 091(三十フランのカフェー・オーレー)
  • 1953/12/27: 095(三食付で三〇ペセタ(二七〇、八〇フラン)のパンシオン代), 101
  • 1956/4/6: 153
  • 1956/9/3: 204(月給)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 227
  • 1957/7/18: 325(金銭の崇拝)
  • 1957/12/29: 405(二万五千フラン以上もする腕時計)
  • 1958/4/27: 456(金をとること)
  • 1957/6/1: 274(為替)
  • 1957/7/18: 325(金銭の崇拝)
  • 1957/8/23: 348(ドラクマ換算)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 189(アランの自叙伝の日本訳の印税)
  • 1966/12/2: 317
  • 1967/3/11: 329
  • 1967/4/8: 355(金銭上の問題)
  • 1967/4/23: 367(多くの時間と労力と金)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 013(金を溜めるこつ)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 067
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「『ことば』について」: 150(金の必要), 152
  • 「初秋のパリから」: 213

日記

  • 1956/11/17: 1-506
  • 1960/9/17: 2-549
  • 1960/10/1: 2-561
  • 1960/10/20: 2-563
  • 1960/10/21: 2-564
  • 1970/11/30: 5-352
  • 1971/1/12: 5-375
  • 1971/4/2: 5-420
  • 1971/4/30: 5-459
  • 1976/6/6: 5-528

[人名][文学]カフカKafka, Franz

[場所][日本]鎌倉

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/23: 103
『砂漠に向かって』
  • 1967/3/30: 346(鎌倉海岸)
  • 1967/8/31: 481(金沢街道)
  • 1967/11/4: 491(病気で鎌倉で保養していた時), 492(鎌倉の光にみちた広い空)

集成3

『遥かなノートル・ダム』

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 094(片瀬)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 257

[語彙][宗教]、神性→宗教

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 021(「我らの避け所なる神」)
  • 1953/10/17: 040
  • 1953/10/18: 046(女性から天使に、天使から神にまで)
  • 1953/10/19: 050(神の愛の宇宙的な支配), 052
  • 1953/10/24: 070, 071(若いバッキュス神)
  • 1953/10/31: 076(神様)
  • 1953/12/27: 099(神の祝福)
  • 1954/2/16: 120(普遍と個性と神性との問題)
  • 1956/3/27: 142(神の存在証明)
  • 1956/4/1: 151(有限の人間が無限の神に帰依する、という事実)
  • 1956/4/12: 162(神の誕生)
  • 1956/9/2: 198(神への信仰)

『流れのほとりにて』

  • 1957/4/22: 255(パウロの言った「すべての名の起る源なる神」)
  • 1957/6/10: 291
  • 1957/7/5: 310(神性)
  • 1957/7/8: 319(神像), 320(神々)
  • 1957/7/20: 333(ギリシアの神々)
  • 1957/7/18: 323(動物神)
  • 1957/7/20: 330-333(神々)
  • 1957/9/14: 369(唯一の真の神)
  • 1957/9/15: 371(人間が次第に神の姿に近づくということ), 373(神と人と物とのこの見事な統一)
  • 1957/9/30: 396(神に属する何か)
  • 1958/4/30: 466

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 029
  • 1958/11/11: 042
  • 1958/12/14: 061, 063
  • 1958/12/25: 071
  • 1958/12/28: 079
  • 1959/1/3: 088(彼岸から投げられた神の影)
  • 1959/8/19: 096
  • 1959/8/23: 103(Dieu)
  • 1959/8/25: 110
  • 1959/9/28: 126-127
  • 1959/10/2: 135-138
  • 1959/10/3: 144
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 167, 190
  • 1963/9/7: 214
  • 1963/9/10: 225(ヴェスタの神殿), 228
  • 1963/9/13: 233, 237(神と律法と人間の熱情)
  • 1965/12/31: 262(神の存在)
  • 1967/3/31: 349
  • 1967/6/4: 390(殆ど神のようだといってもいい)
  • 1967/6/8: 408(真の神を信ずる者達の「品位」)
  • 1967/6/10: 419(神の不可見の偏在の表現)
  • 1967/6/11: 422(神の命令)
  • 1967/6/14: 430(無神論者)
  • 1967/6/16: 432
  • 1967/6/18: 435(永遠の神)
  • 1967/6/27: 445(神の創造した無垢の被造物)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 017(神の本体論的証明), 031(無神論), 032
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 051(「ロシアの神」)
  • 「ある夏の日の感想」: 122, 128(神から流れ出すもの)
  • 「ルオーについて」: 172(神の直観), 185-186(「神」), 192(神の本体論的証明), 193-194(「神」), 203, 205-208(「神」)
ノートルダム寺院を主題にする」
  • 「黄昏のノートルダム」: 270(川の神), 279(神の子), 286, 290(人間の肉を帯びた神の弱さ)
  • 「遠ざかるノートルダム」: 295
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 190, 196
  • 「初秋のパリから」: 214

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 054
  • 「旅の空の下で」: 074, 080, 090(神なき黙示録的終末)
  • 「文化の根というものについて」: 177(哲学的無神論
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 196
  • 「初秋のパリから」: 216
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 277(「隠された神」), 283(「我々はある一つの神の先祖である」)

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 314(凡ての人の神の前における平等)

日記

  • 1964/12/13: 3-390-391
  • 1965/3/17: 3-394
  • 1965/3/18: 3-400
  • 1967/11/30: 3-436
  • 1967/12/1: 3-438-440
  • 1967/12/4: 3-441
  • 1967/12/6: 3-444
  • 1967/12/15: 3-449
  • 1967/12/18: 3-454
  • 1967/12/24: 3-470
  • 1967/12/26: 3-480-481
  • 1967/12/29: 3-497
  • 1967/12/31: 3-507
  • 1968/1/1: 3-513
  • 1968/1/2: 3-516
  • 1968/2/3: 4-500
  • 1968/2/11: 4-508
  • 1968/11/18: 4-540
  • 1969/1/10: 4-546
  • 1969/2/9: 4-554
  • 1969/3/26: 4-559, 561
  • 1969/3/29: 4-563
  • 1970/5/31: 5-341
  • 1970/12/14: 5-354
  • 1970/12/22: 5-355
  • 1970/12/29: 5-368-369(神々)
  • 1971/2/25: 5-396
  • 1971/4/2: 5-419
  • 1971/4/9: 5-428
  • 1971/4/18: 5-449
  • 1972/6/4: 5-487
  • 1972/12/29: 5-493-494
  • 1973/6/19: 5-502
  • 1976/4/19: 5-518-519

[人名][文学]カミュCamus, Albert

[事項][宗教]カルヴィニズムカルヴァンプロテスタント

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「木々は光を浴びて、……」: 052

[場所][パリ]カルティエ・ラタン(カルチェ・ラタン

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 013
  • 1953/12/25: 085
  • 1953/12/26: 092
  • 1956/4/6: 153
  • 1956/4/12: 159
『流れのほとりにて』
  • 1958/2/2: 408(約七年間住みなれたカルティエ・ラタンを去って), 409
  • 1958/2/15: 425
  • 1958/2/18: 430
  • 1958/2/24: 432
  • 1958/4/15: 447

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/8/3: 017
  • 1958/10/10: 026
  • 1958/11/12: 044
  • 1958/12/16: 065
  • 1958/12/27: 076, 077
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 162, 183
  • 1966/1/9: 264
  • 1966/3/28: 278
  • 1967/11/7: 494

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「赤いノートル・ダム」: 113
  • 「ルオーについて」: 182, 203
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 260

日記

  • 1959/3/28: 2-530
  • 1962/9/5: 3-329
  • 1970/12/14: 5-354
  • 1971/3/22: 5-404
  • 1975/7/24: 5-505
  • 1976/6/6: 5-523

[語彙][哲学]感覚

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

  • 1953/10/9: 012, 013, 014, 017(感覚のノスタルジー), 018, 022(魂の感覚), 023
  • 1953/10/13: 025(感覚的色彩)
  • 1953/10/14: 033
  • 1953/10/15: 034, 036
  • 1953/10/17: 039, 040
  • 1953/10/24: 071(直接の感覚)
  • 1953/12/25: 086, 087
  • 1953/12/26: 090
  • 1953/12/27: 095, 096(異性の感覚), 098, 099
  • 1954/1/5: 109(ヨーロッパ的感覚)
  • 1954/2/16: 114, 122, 123
  • 1956/3/26: 138-139(純粋感覚)
  • 1956/3/27: 144(感覚の質), 145
  • 1956/4/1: 149, 150, 152
  • 1956/4/9: 157
  • 1956/4/12: 160
  • 1956/8/5: 172
  • 1956/8/29: 175, 176, 177
  • 1956/8/30: 181, 182
  • 1956/9/3: 204「すべて感覚の中になかったものは、悟性の中にはない」
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/16: 211
  • 1957/4/18: 214, 216-217, 220, 224(純粋感覚), 227
  • 1957/4/19: 236(魂の感覚)
  • 1957/4/20: 238, 239(純粋感覚)
  • 1957/4/21: 244, 247(純粋感覚), 248
  • 1957/4/22: 253
  • 1957/4/25: 259, 260(原感覚)
  • 1957/4/26: 261, 266, 268(純粋感覚)
  • 1957/5/30: 273
  • 1957/6/3: 282, 283, 285
  • 1957/6/10: 288
  • 1957/6/13: 296
  • 1957/6/16: 300, 303
  • 1957/6/27: 307
  • 1957/7/5: 308
  • 1957/7/20: 328
  • 1957/7/25: 335
  • 1957/8/13: 339
  • 1957/8/19: 344
  • 1957/8/22: 345(感覚的要素), 346, 347(感覚の質)
  • 1957/8/23: 348
  • 1957/9/9: 353
  • 1957/9/12: 359
  • 1957/9/13: 362(西欧的感覚)
  • 1957/9/14: 367, 370
  • 1957/9/22: 377, 378
  • 1957/9/22: 381, 383
  • 1957/9/30: 390(感覚の解放), 394
  • 1957/12/29: 403, 404
  • 1958/1/1: 406
  • 1958/2/2: 413
  • 1958/2/9: 419
  • 1958/2/18: 431
  • 1958/2/24: 433(精神の感覚)
  • 1958/3/6: 437(一つの人間的感覚), 438, 439
  • 1958/3/7: 440
  • 1958/3/13: 441, 442
  • 1958/3/14: 445
  • 1958/4/15: 448(全感覚が一せいに目醒める)
  • 1958/4/27: 457(男の感覚)
  • 1958/4/30: 464

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 007, 008, 011, 012, 015
  • 1958/8/3: 017, 018, 021
  • 1958/10/10: 027
  • 1958/11/4: 032, 035
  • 1958/11/11: 042
  • 1958/11/19: 048, 052, 053
  • 1958/12/10: 055
  • 1958/12/13: 059
  • 1958/12/14: 061, 064
  • 1958/12/16: 065
  • 1958/12/25: 072
  • 1958/12/31: 080-082
  • 1959/1/1: 085
  • 1959/8/17: 094
  • 1959/8/23: 103-105
  • 1959/8/25: 108-110(感覚の弁証法
  • 1959/9/1: 113
  • 1959/9/6: 121, 122
  • 1959/10/2: 129, 130
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 169(単純な感覚の領域), 170, 171(感覚的経験), 172, 177, 183(感覚的印象), 186-188
  • 1956年 初夏: 197(高度な非感覚性禁欲性)
  • 1963/4/13: 205(感じ), 206-207(感覚の展開), 210(感覚と感動)
  • 1963/9/7: 212(新しい感覚と経験)
  • 1963/9/8: 218(感覚的美しさ)
  • 1963/9/8: 221(何か物凄い感覚)
  • 1963/9/10: 224, 228(新しい感覚)
  • 1963/9/13: 229(感覚の成熟), 234-235
  • 1963/9/17: 239(感覚的真実), 241
  • 1965/8/1: 246
  • 1965/12/4: 250, 251(生命の内面的感覚と充実)
  • 1965/12/5: 255(感覚と経験と思想)
  • 1966/1/3: 263(物に触れるような堅実な感覚)
  • 1966/1/10: 265-266
  • 1966/1/26: 276(感覚的なイマージュ)
  • 1966/3/28: 278(僕の内部の感覚の渦)
  • 1966/8/31: 283
  • 1967/4/11: 358(感覚と想像の節制)
  • 1967/4/17: 360(感覚の開華)
  • 1967/5/28: 378(絶望的な感覚)
  • 1967/6/9: 411(砂漠の重い歩みの感覚)
  • 1967/6/12: 425
  • 1967/6/14: 430(人々の無感覚)
  • 1967/8/30: 456, 459(感覚と生活、言いかえれば経験)
  • 1967/8/31: 476(感覚の繰り返し、あるいは再確認) 477(外部感覚), 480, 481(感覚的条件), 482(未知の空の下に、自分が喪われて行くような感覚), 484(人間の感覚)
  • 1967/11/3: 486-487(殆ど透明と言ってよい純粋な感覚)
  • 1967/11/7: 495
  • 1967/11/14: 499, 500(感覚化)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」:011
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 053, 073
  • 「遥かなノートルダム」: 079, 081, 099(この感じ), 107
  • 「赤いノートルダム」: 111(感覚の交流), 112(短期で感覚的な、激しやすい性格)
  • 「ある夏の日の感想」: 119, 121-122, 124(感覚の堆積), 127(感覚的経験), 128(内面的感覚)
  • 「パリの生活の一断面」: 147-148, 159
  • 「ルオーについて」: 170-171, 181(若いリールケの感覚), 182, 185(感覚の形質), 204(文学的であるには余りに直接の感覚), 208(感ずる)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 213
  • 「滞日雑感」: 222, 226, 234, 240(感じ)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 018, 025, 029, 035, 042, 043, 056-057
  • 「旅の空の下で」: 080, 086, 093, 094, 098(「感覚」)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 121(「感覚」), 123
  • 「『ことば』について」: 143, 149, 152
  • 「文化の根というものについて」: 176(感覚主義), 177, 178, 179(感覚的形態), 180-182
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 188, 190, 192, 200, 201(感覚的映像)
  • 「初秋のパリから」: 216, 217(人間感覚), 218-219, 221, 226
  • 「偶感」: 236, 237, 240, 241, 243
  • 「シャルトルと法隆寺」: 247
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 262-263(感覚の騒乱), 264(「感覚」), 265(感覚のしん), 266(「感覚」), 267-269, 272(音の感覚), 273-274(「感覚」), 275(感覚的な美しさ), 276-277(感覚の集合と解体の過程), 278

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 028, 042, 046
  • 「木々は光を浴びて、……」: 054-056
  • 「暗く広い流れ」: 086, 093(充実した生命の現実感覚の目ざめ)
  • 「パリで中国を想う」: 123(感覚的)
  • 「大陸の影の下で」: 149, 177(非感覚的)
  • 「わが思索わが風土」: 196
  • 「感想」: 225
  • 「パリ」: 263
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「故国の情感」: 281

[語彙]感傷、感傷性

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

  • 1953/10/9: 013
  • 1956/4/1: 151
  • 1956/4/9: 155
  • 1956/4/12: 161, 162

『流れのほとりにて』

  • 1957/4/18: 214
  • 1957/4/21: 244, 245
  • 1957/6/16: 301
  • 1957/12/29: 405(古い感覚と感傷との燃焼)
  • 1958/4/30: 465(感傷と感動との区別)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/23: 103
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 171(それが「好き」だという甘い感傷)
  • 1956年 初夏: 196(感傷の対象)
  • 1956/7/15: 200
  • 1963/9/7: 215
  • 1966/9/18: 302-303(単なる感傷)
  • 1966/11/27: 307
  • 1967/3/1: 319(感傷的要素)
  • 1967/6/6: 394(自分の性格の感傷性の大きいこと)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 124
  • 「ルオーについて」: 203, 207

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 103
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 206
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 277

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 091, 100, 102-103
  • 「大陸の影の下で」: 177(非感傷的)
  • 「感想」: 214

[語彙][哲学]感情→情念

[人名][哲学]カントKant, Immanuel

[事項][日本]関東大震災

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 036(大正大震災)

日記

[事項][言語]漢文、漢語、漢学、漢字→孔子『史記』『詩経』孟子『論語』

集成1

『流れのほとりにて』

  • 1958/2/18: 430(漢字)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/26: 075(古代の日本人が中国語を学んだ仕方)
  • 1958/12/31: 081
『砂漠に向かって』
  • 1963/4/13: 206(漢学)
  • 1966/1/3: 263(漢和辞典
  • 1966/9/8: 294
  • 1966/9/14: 296-299(漢学系、仏典系の漢文学
  • 1966/12/1: 315
  • 1967/3/9: 321
  • 1967/3/10: 325(漢語)
  • 1967/3/16: 329
  • 1967/3/19: 334
  • 1967/5/15: 370
  • 1967/6/3: 385(漢字)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 059, 060
  • 「遥かなノートルダム」: 085
  • 「パリの生活の一断面」: 140(国漢), 145, 155-156

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 043(漢語)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 109(漢学の教師)
  • 「『ことば』について」: 145(漢字の制限とか仮名づかいの統一とか), 146(漢字、漢文の用法)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 203(漢文そのものの日本化)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「感想」: 237, 238, 239

日記

  • 1957/2/17: 1-540
  • 1959/3/15: 2-507(「四書」)
  • 1959/6/23: 2-543
  • 1964/7/25: 3-353
  • 1964/11/1: 3-377
  • 1964/11/26: 3-381
  • 1965/3/4: 3-393
  • 1965/3/18: 3-397
  • 1965/3/21: 3-403-404
  • 1965/3/29: 3-405
  • 1965/3/30: 3-408
  • 1967/12/14: 3-445
  • 1967/12/30: 3-500
  • 1967/12/31: 3-508
  • 1968/1/15: 4-489
  • 1968/4/10: 4-528
  • 1969/2/26: 4-555
  • 1969/3/29: 4-562
  • 1970/2/25: 5-328-329
  • 1971/4/3: 5-420-421
  • 1971/12/13: 5-468

[人名][日本]菅野昭正

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/6/11: 422-423(菅野昭正君と夕食)

日記

  • 1968/3/3: 4-521

[場所]カンボジアアンコールワット

集成4

『旅の空の下で』
  • 「一九六八年の夏の反省」: 109

日記

  • 1968/10/22: 4-531-532
  • 1971/1/11: 5-372