は
[語彙][歴史]敗戦→戦争
集成2
『砂漠に向かって』
- 1966/9/6: 290(戦争と敗戦)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「霧の朝」: 028, 036
- 「遥かなノートルダム」: 091, 101(敗戦直前), 108
- 「滞日雑感」: 221
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 060(日本全体の連合軍に対する降伏と本土占領), 062
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「暗く広い流れ」: 089(敗戦直後)
- 「感想」: 204, 210, 213, 214, 218, 222
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「三十年という歳月」: 303-304, 308-309, 315
[人名][哲学]ハイデッガー→Heidegger, Martin
[語彙]恥
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1954/1/5: 109-111
[人名][文学][日本]橋本一明
日記
- 1969/2/6: 4-551
[人名][哲学][フランス]パスカル→Pascal, Blaise
[語彙]発酵
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/14: 032
- 1953/10/17: 042
- 1956/3/24: 131
- 1956/4/1: 152
『流れのほとりにて』
- 1957/4/26: 260
- 1957/7/20: 328
- 1957/9/12: 358(内面の発酵過程)
- 1957/9/23: 386
- 1958/2/16: 427
- 1958/4/22: 453
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/11/10: 040
『砂漠に向かって』
- 1963/9/7: 216(発酵に発酵を重ねた要素)
- 1963/9/13: 234
- 1966/3/19: 334(発酵と沈殿作用)
- 1967/3/28: 339
- 1967/4/22: 366
- 1967/6/5: 391, 393
- 1967/8/30: 454(長い発酵期間)
集成4
『旅の空の下で』
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 200(堆積と発酵の過程)
- あとがき: 255
日記
- 1970/12/29: 5-367
[語彙][哲学]発展、展開→エヴォリュシオン
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/9: 023(大きな精神の発展)
- 1953/10/15: 035(偉大な発展)
- 1953/10/24: 068(人生の様々な楽しみや発展の可能性)
- 1954/2/16: 116(新しい展開)
- 1954/3/3: 123(様々の印象と思索の一つの展開)
- 1956/3/24: 133(展開)
- 1956/3/26: 139, 140
- 1956/3/27: 143
- 1956/3/31: 148
- 1956/4/1: 151
- 1956/8/5: 171, 172
- 1956/8/30: 181
『流れのほとりにて』
- 1957/4/16: 211(展開), 212(展開)
- 1957/4/18: 225
- 1957/4/20: 239
- 1957/4/21: 245, 249(展開)
- 1957/6/1: 280
- 1958/2/24: 434(感性の内的分化発展)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 052(進歩発展), 034
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 133(展開)
- 「『ことば』について」: 145
- 「文化の根というものについて」: 170, 171, 175, 177, 179
- 「偶感」: 235
- 「シャルトルと法隆寺」: 251(精神の発展)
その他
- 「リールケのレゾナンス」: 260(展開)
集成5
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「三十年という歳月」: 312(歴史的発展)
[人名][音楽]バッハ→Bach, Johan Sebastian
[語彙][哲学]パトス
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「木々は光を浴びて、……」: 054
[語彙]母→家族
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1954/2/16: 118(お母様)
- 1956/3/31: 148(すべての男が自分の母の面影をすべての女の中に求め)
『流れのほとりにて』
- 1957/6/3: 284-285
- 1957/6/27: 305(影のような母)
集成2
『砂漠に向かって』
- 1952年 ノエルの宵: 182
- 1963/4/13: 205(父母)
- 1963/9/13: 232(母や祖母)
- 1966/1/26: 276(稚い日の、父や母、祖母たちの姿)
- 1967/3/19: 334
- 1967/3/26: 336
- 1967/5/28: 377(子供の母親), 378(母の姿)
- 1967/6/27: 445(まだ父もなく母もない原始の罪)
- 1967/8/31: 479(祖母や母の面影)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「遥かなノートルダム」: 091
- 「ルオーについて」: 168(母親), 200
- 「思索の源泉としての音楽」: 210
集成4
『旅の空の下で』
- 「旅の空の下で」: 080(父母未生以前本来の面目), 102(私にピアノの手ほどきをしてくれた母)
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 119, 128
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「暗く広い流れ」: 089-090
- 「わが思索わが風土」: 184
日記
- 1965/4/18: 3-411
- 1967/12/17: 449-450
- 1967/12/27: 3-486
- 1968/2/10: 4-503
- 1969/2/26: 4-555
- 1975/8/11: 5-509
[作品]『バビロンの流れのほとりにて』(『集成1』)
集成1
『流れのほとりにて』
- 1957/4/22: 254
- 1957/4/26: 266
- 1958/2/3: 414
- 1957/7/7: 317
- 1957/7/20: 328
- 1958/2/10: 422
- 1958/3/13: 442
- あとがき: 471
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/7/5: 008
- 1958/11/19: 050
- 1958/12/14: 061
- 1959/10/4: 147
- 1959/10/10: 150
- あとがき: 155
- 一九六八年版へのあとがき: 157
『砂漠に向かって』
- 1963/9/7: 212, 213(第二の「バビロンの流れ」)
- 1967/5/14: 369
- 1967/6/9: 415(詳細な語彙と索引とを付けようと思っている)
- あとがき: 503
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「わが思索わが風土」: 193
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「現下の時点にあたって思う」: 301
日記
- 1956/11/17: 1-507
- 1956/12/3: 1-508
- 1956/12/29: 1-515(仏訳の計画)
- 1959/6/18: 2-539
- 1962/8/30: 3-326
- 1965/9/2: 3-421
- 1967/12/14: 3-445
- 1967/12/30: 3-500
- 1969/3/29: 4-562
- 1973/3/28: 5-500
- 1976/6/5: 5-522
[場所][パリ]パリ
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/8: 009
- 1953/10/9: 013, 018, 020
- 1953/10/13: 027, 028(リールケとパリとの関係)
- 1953/10/14: 031(パリ市の旧い役人)
- 1953/10/15: 035
- 1953/10/17: 038(コンコルドの広場、シャン・ゼリゼー)
- 1953/10/18: 045(曇ったパリのような空)
- 1953/10/20: 056
- 1953/10/24: 072
- 1953/10/31: 080
- 1953/12/25: 085, 086(暗いパリの冬の空)
- 1953/12/26: 091, 093
- 1953/12/27: 094(パリの乱雑さ), 099, 101, 104-105
- 1956/3/24: 127
- 1956/3/24: 131-132, 134
- 1956/3/26: 137(パリの臭い), 138(人々が得意そうに食べるパリ料理)
- 1956/3/27: 144-145
- 1956/4/1: 148
- 1956/4/6: 153-154(パリの恐ろしさ)
- 1956/4/12: 162(パリの異国人社会)
- 1956/5/10: 168(パリの空気の密度), 170(パリの素顔)
- 1956/8/6: 174(パリの町々)
- 1956/8/29: 175(パリの新しい発見), 176(パリの発見)
- 1956/8/30: 179, 187
- 1956/9/3: 200(パリあたりの壁のうすい、上下の部屋の様子まで判る家), 204(パリのクロヴィス街にあるフィリップ・オーギュストの城壁)
『流れのほとりにて』
- 1957/4/19: 234(パリの洗練された社交界から出たプルーストの芸術)
- 1957/4/20: 240(パリのレストラン)
- 1957/4/22: 252, 256
- 1957/4/25: 257, 260
- 1957/6/3: 286
- 1957/6/12: 293-294(パリの本当の美しさ)
- 1957/7/5: 308(ロンドンと比べて)
- 1957/7/8: 318
- 1957/7/18: 321
- 1957/7/20: 329
- 1957/7/29: 337(パリの本当に魅惑にみちた顔)
- 1957/8/13: 338(パリ街頭の乞食と自分), 339(パリとの接触点)
- 1957/8/19: 340, 341
- 1957/8/22: 344
- 1957/9/9: 349-350
- 1957/9/12: 355
- 1957/9/13: 361(八年前にパリに来て以来), 362(サン・テティエンヌやサン・セヴェラン)
- 1957/9/14: 366
- 1957/9/22: 377(パリないしフランスというもの)
- 1957/9/23: 386(灰色のパリの秋)
- 1957/9/30: 389(冷たく暗いパリの秋)
- 1957/12/22: 397
- 1957/12/29: 402, 405
- 1958/1/1: 406(パリで迎える八回目のお正月), 407
- 1958/2/2: 408-414
- 1958/2/3: 414(リールケとパリ)
- 1958/2/10: 421
- 1958/2/16: 426
- 1958/2/24: 434
- 1958/3/6: 437, 438
- 1958/3/7: 439
- 1958/3/13: 443(はじめてこのパリに到達したのだ), 444(僕のパリ)
- 1958/4/15: 449-450(パリの北)
- 1958/4/25: 454-455(パリの映像)
- 1958/4/27: 457(パリの現実), 459, 460-461
- 1958/4/30: 462, 463
- あとがき: 471
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/7/5: 010
『砂漠に向かって』
- 1952年 ノエルの宵: 161-163, 167, 170(芸術と思想との充ちた町パリ), 182(パリ十三区), 184-185, 188
- 1956年 初夏: 192, 195-196(第六区)
- 1956/7/15: 200
- 1963/4/13: 206
- 1963/9/7: 215-216(ローマとパリ)
- 1963/9/8: 221(パリの凱旋門)
- 1963/9/10: 222(パリの雨)
- 1963/9/13: 235, 238
- 1963/9/17: 242, 245
- 1965/8/1: 245-246
- 1965/12/4: 247(パリらしい気楽なところ), 252
- 1965/12/29: 255(本当に寒いパリの冬), 256
- 1965/12/30: 259
- 1966/1/9: 264(パリ生活)
- 1966/1/10: 267(パリの学校街と庶民街との交錯しているところ)
- 1966/1/14: 273(暗く重いパリ)
- 1966/3/28: 277(過去のパリで過ごした年月), 278
- 1966/8/31: 280(パリに来て十六年), 281(パリの労働者街), 282-283
- 1966/9/3: 283(古いパリ), 284-285
- 1966/9/5: 287
- 1966/9/7: 291-292
- 1966/11/27: 311
- 1966/11/30: 312, 314-315(パリの美しさ)
- 1967/3/11: 329
- 1967/3/18: 332-333
- 1967/5/15: 371
- 1967/5/26: 373-374
- 1967/5/28: 378(パリ郊外の汽車)
- 1967/6/3: 385(パリ国際大学都市理事)
- 1967/6/10: 418(たまたまパリにいるように、たまたま日本に生れた)
- 1967/6/13: 427
- 1967/6/18: 440
- 1967/6/21: 441
- 1967/8/30: 455, 457(パリや北仏の秋), 460-461, 465, 470, 474(パリの新聞), 475(パリや上野の動物園)
- 1967/8/31: 479(パリのカテドラル), 483(パリの空)
- 1967/11/3: 486-487
- 1967/11/4: 488(静かで厳しいパリの生活), 491, 492(パリの南郊), 493
- 1967/11/7: 494(いつも変らぬパリの郊外風景)
- 1967/11/8: 496(パリの学校)
- 1967/11/14: 498
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「霧の朝」: 009-011(本当にパリらしい生活), 014, 018-020, 030, 039(パリの平凡な一日)
- 「ひかりとノートル・ダム」: 041, 043, 047(春), 061, 063-065, 074
- 「遥かなノートルダム」: 077, 079, 089, 105
- 「赤いノートルダム」: 111, 113, 118
- 「ある夏の日の感想」: 126(サント・ユスタシュ教会)
- 「パリの生活の一断面」: 135, 138-139, 141, 143-144, 154, 162, 165
- 「ルオーについて」: 167, 169, 172, 174-175, 181-182, 187-188, 192, 197, 199(世界の名所パリ), 200(生粋のパリ人), 202
- 「思索の源泉としての音楽」: 209, 211, 217
- 「滞日雑感」: 220, 222-223, 225-227, 229-231, 234-235, 237
- あとがき: 243
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 012-014, 018-019, 024, 028, 034, 041-042, 067
- 「旅の空の下で」: 069, 077-078(ミュゼ・ギメ), 086-087, 093, 094, 099, 101, 102-103
- 「一九六八年の夏の反省」: 104-105, 109-112
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 118, 137, 138(早春のパリ)
- 「『ことば』について」: 141, 151
- 「文化の根というものについて」: 161
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 185-188, 189, 193, 201
- 「初秋のパリから」: 207-230
- 「偶感」: 232-233, 235, 238, 240
- 「シャルトルと法隆寺」: 246
- あとがき: 255, 256
その他
- 「リールケのレゾナンス」: 259-260, 262-267, 271, 277(サント・シャペル), 280
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「雑木林の中の反省」: 012, 019, 023-025, 026-028, 045-046
- 「木々は光を浴びて、……」: 050, 051
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「三十年という歳月」: 303(パリの日本館長就任), 309, 315-316(日本を遠く離れたパリ), 317-318(パリ大学)
日記
- 1954/5/18: 1-477, 485
- 1956/11/9: 1-496
- 1956/11/10: 1-499
- 1956/11/13: 1-503
- 1956/12/14: 1-510
- 1956/12/28: 1-514
- 1957/1/30: 1-532
- 1957/3/15: 1-546
- 1957/3/25: 1-551
- 1959/3/15: 2-508
- 1959/3/16: 2-509
- 1959/3/19: 2-514
- 1959/3/22: 2-522-523
- 1959/3/25: 2-527-528
- 1959/3/29: 2-532
- 1959/6/18: 2-538-539
- 1960/9/8: 2-544
- 1960/9/13: 2-547
- 1960/9/25: 2-557
- 1962/8/15: 3-322, 324
- 1962/9/5: 3-329
- 1962/9/8: 3-336
- 1964/7/25: 3-354(「パリ」)
- 1964/8/28: 3-364
- 1964/8/31: 3-368(「パリ」)
- 1964/9/2: 3-369
- 1964/9/3: 3-370-371
- 1964/9/9: 3-374
- 1964/9/16: 3-375
- 1964/11/17: 3-380
- 1964/11/26: 3-381
- 1964/12/3: 3-385
- 1964/12/9: 3-387
- 1964/12/14: 3-392
- 1965/3/4: 3-393
- 1965/3/18: 3-400-401
- 1965/3/20: 3-402
- 1965/3/29: 3-406
- 1965/4/18: 3-411
- 1965/10/10: 3-422
- 1965/11/28: 3-428
- 1967/12/14: 3-445
- 1967/12/15: 3-447
- 1967/12/23: 3-462
- 1967/12/22: 3-464
- 1967/12/30: 3-499, 501
- 1968/1/2: 3-517, 519
- 1968/1/5: 4-478
- 1968/2/4: 4-502
- 1968/2/22: 4-512
- 1968/10/22: 4-531
- 1968/10/31: 4-537
- 1969/2/26: 4-555(「パリ」)
- 1970/2/25: 5-328(「巴里私記」)
- 1970/5/1: 5-332
- 1970/12/14: 5-353-354
- 1970/12/24: 5-357
- 1970/12/29: 5-362-363
- 1971/1/14: 5-378
- 1971/1/20: 5-385
- 1971/3/22: 5-407
- 1971/3/27: 5-409-410
- 1971/4/2: 5-420
- 1971/4/25: 5-455
- 1971/12/12: 5-464
- 1971/12/13: 5-466(「巴里私記」), 467
- 1975/8/11: 5-509
- 1976/4/14: 5-516
- 1976/6/5: 5-522
- 1976/6/7: 5-529
[場所][美術]パルテノン神殿
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/12/27: 101, 105
- 1954/2/16: 121
『流れのほとりにて』
- 1957/7/5: 308
- 1957/7/7: 313
- 1957/7/8: 319, 321
- 1957/7/18: 322
- 1957/7/20: 326, 329-331
- 1957/7/25: 335
- 1957/8/19: 343
- 1957/9/9: 352
- 1957/9/15: 374
- 1957/9/22: 380-383
- 1957/9/23: 387
- 1958/2/24: 432(あのパルテノンを模した教会)
集成2
『砂漠に向かって』
- 1963/9/8: 221
- 1963/9/13: 230
[人名][宗教]バルト(カール・バルト)→Barth, Karl
[人名][文学]バルト(ロラン・バルト)→Barthe, Roland
[語彙]反抗→抵抗
[語彙][哲学]反省、内省
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/8: 007
- 1956/3/24: 132(知的反省)
- 1956/9/2: 193
『流れのほとりにて』
- 1957/4/18: 219
- 1957/7/7: 317
- 1957/7/18: 321
- 1957/12/22: 397
- 1958/2/2: 413
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/10/10: 027
- 1959/1/1: 085
- 1959/1/3: 086
- 1959/8/19: 095
- 1959/10/3: 142
- 1956年 初夏: 198
『砂漠に向かって』
- 1963/9/7: 213
- 1965/12/5: 254
- 1966/3/28: 278
- 1966/9/8: 294
- 1967/4/11: 358
- 1967/5/14: 369
- 1967/6/12: 426(必然的に求められる回顧)
- 1967/8/21: 453
- 1967/11/4: 491
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「霧の朝」: 010(反省と思索), 012, 016, 018-019, 035
- 「ひかりとノートル・ダム」: 056(計測と反省), 062(内面的反省), 071
- 「パリの生活の一断面」: 150, 164-165
- 「思索の源泉としての音楽」: 215-216(不断の反省)
- 「滞日雑感」: 232
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 037
- 「旅の空の下で」: 076, 093, 094
- 「一九六八年の夏の反省」: 105
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 119, 120(人間的反省)
- 「『ことば』について」: 141, 144, 157
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 188, 193
- 「初秋のパリから」: 215, 219, 221
- 「偶感」: 234, 238, 239
その他
- 「リールケのレゾナンス」: 264, 274(回顧的), 275, 277
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「雑木林の中の反省」: 011
- 「木々は光を浴びて、……」: 054
- 「パリで中国を想う」: 110, 111
- 「感想」: 209, 214, 226, 239
- 「パリ」: 270
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「現下の時点にあたって思う」: 299