森有正エッセー集成 索引

森有正エッセー集成(ちくま学芸文庫)の索引

[事項][哲学]唯物論マルクス主義

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/3/27: 142
『流れのほとりにて』
  • 1957/6/14: 297
  • 1957/12/22: 399

集成3

『遥かなノートル・ダム』

[語彙]憂鬱

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/14: 030(蕭条とした灰色の明るい憂鬱さ), 031(自然の灰色の憂鬱さ)
  • 1953/10/31: 079(憂鬱と悲しみ)
  • 1954/3/3: 125(憂鬱と悲しみと軽薄と激しい熱情)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/19: 229(「能力の完璧から来る憂鬱」EINE MELANCHOLIE DES VERMÖGENS), 230(真夏の開花を、死を通して、望んでいるものの、あの憂鬱), 231(恐怖ではない憂鬱), 232
  • 1957/4/20: 240(ドストエーフスキーの憂鬱)
  • 1957/6/14: 299(気分が鬱して)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/1/10: 266(無限の憂愁)
  • 1967/3/28: 339-340(かなり陰鬱な、平凡な一日)
  • 1967/4/6: 353(すべてが憂鬱)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 010

集成4

『旅の空の下で』
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 135
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 195

[語彙]勇気

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/7/29: 337(生活への勇気)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/10/10: 027(生活は勇気であり、決意である)
  • 1959/8/17: 093
『砂漠に向かって』
  • 1963/9/10: 226(勇を鼓して)
  • 1966/1/10: 267(日毎に生きて行く勇気)
  • 1966/1/11: 269
  • 1966/9/7: 292
  • 1966/9/18: 301(歩いてかえる勇気)
  • 1967/4/6: 353(勇気づけてくれる)
  • 1967/6/6: 396
  • 1967/6/14: 428(終わりまで読む勇気), 429
  • 1967/8/30: 459(勇気と智慧と意志)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 018(勇気と決断と責任)
  • 「ルオーについて」: 189, 208

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 070, 087, 089, 101
  • 「一九六八年の夏の反省」: 117
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 185
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 273(「内的促し」に従って歩み尽くす忍耐と勇気)277-278(注意深い努力と忍耐と勇気) , 280(努力と忍耐と勇気)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 198
  • 「感想」: 211
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「東京の一隅」: 286
  • 「現下の時点にあたって思う」: 301

[語彙]友人、友だち、友情

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 007(交友)
  • 1953/10/9: 014(友だち), 019(友だち)
  • 1953/10/13: 028(友だち)
  • 1953/12/25: 083, 084, 087
  • 1954/2/16: 116(愛と友情)
  • 1954/3/3: 125
  • 1956/3/26: 138(友情とか愛情とかいうこと)
  • 1956/3/27: 144
  • 1956/4/9: 159
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/26: 264
  • 1957/4/27: 269-270
  • 1957/6/3: 281
  • 1957/6/12: 293(友情)
  • 1957/7/7: 312
  • 1957/7/29: 337
  • 1957/9/14: 366
  • 1957/9/23: 386
  • 1957/12/22: 397-398(ドイツ人の友人)
  • 1957/12/29: 405
  • 1958/2/9: 417(友達), 418(娘のよいお友達になる?)
  • 1958/4/22: 452
  • 1958/4/30: 462(友人とのつき合い)
  • あとがき: 471(親しい数人の友の友情)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 011
  • 1958/11/4: 032, 036(友情)
  • 1958/12/10: 056
  • 1958/12/14: 062(朋友)
  • 1958/12/18: 066
  • 1958/12/24: 069(親友)
  • 1959/10/10: 147
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 162, 186
  • 1956年 初夏: 195(ある医者の友人), 196
  • 1963/4/13: 206
  • 1965/12/5: 253
  • 1966/11/30: 315
  • 1967/3/26: 334
  • 1967/3/28: 341-342
  • 1967/3/29: 344(デカルトの友)
  • 1967/5/15: 370(若い友人)
  • 1967/5/28: 376
  • 1967/6/3: 384(友人である竹内)
  • 1967/6/4: 390(友情)
  • 1967/6/11: 424(友情)
  • 1967/6/14: 431
  • 1967/8/21: 451(先輩、友人の予想しなかった人間的友情)
  • 1967/8/30: 456(友人の家), 459-460, 469(フランスの友人達), 473(友人辻邦生氏), 474
  • 1967/8/31: 481(もう死んでしまった同級の友人)
  • 1967/11/3: 485(家族や友人達)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 081(古い友人達)
  • 「ある夏の日の感想」: 125(友人の辻邦生氏)
  • 「パリの生活の一断面」: 136, 162(友人達との交際)
  • 「ルオーについて」: 184
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 041(ある女性の友), 061(友情), 064, 066
  • 「旅の空の下で」: 070(旧い友人現在駐カンボジア大使をしている力石氏), 103
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 123, 128, 131, 136(謎のような友情)
  • 「『ことば』について」: 152
  • 「初秋のパリから」: 207
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 280(若い友人のアリアーヌ)

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 305(日本の友人達), 316(日本の古い友人達)

[事項][文学]『夕鶴』→木下順二山本安英

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/25: 111

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートル・ダム」: 096-099, 104

日記

  • 1959/3/17: 512

[語彙]夕闇

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 025

[場所][日本]湯河原

集成2

『砂漠に向かって』
  • あとがき: 504(奥湯河原にて)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートル・ダム」: 094, 105

[事項][宗教]ユダヤ教ユダヤ人イスラエルヘブライ語

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
『流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』

集成3

『遥かなノートル・ダム』

日記

  • 1965/3/17: 3-396
  • 1965/10/16: 3-425

[語彙]ユマニスムヒューマニズム人間

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 224(近代ユマニスム)
  • 1957/6/14: 298
  • 1957/7/20: 331(ギリシアのユマニスム), 333(ギリシアの本当の意味のユマニスム)
  • 1957/8/22: 346(人間的、「ユマン」ということ), 347(ユマニスト)
  • 1957/9/22: 383
  • 1958/2/3: 417(本当のユマニスム)
  • 1958/3/7: 440
  • 1958/4/30: 465

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 016
  • 1958/11/2: 030
  • 1959/9/28: 127
  • 1959/10/2: 137
『砂漠に向かって』
  • 1965/12/29: 257
  • 1966/1/10: 267(人道)
  • 1966/11/27: 308(十六世紀のユマニスム), 309(ユマニスムとクラシシスム)
  • 1967/3/1: 320(ユマニスト達の書物)
  • 1967/5/14: 370(西欧的ユマニスム)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 019(ユマニスト), 034(人間(或いはユマニスム))
  • 「遥かなノートルダム」: 090(ユマン)
  • 「ルオーについて」: 180

集成4

『旅の空の下で』
  • 「初秋のパリから」: 217(ユマン), 226, 227
  • 「シャルトルと法隆寺」: 247(人間的、ユマン)

日記

  • 1965/6/27: 3-418
  • 1967/12/14: 3-446
  • 1968/2/4: 4-501

[語彙]

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/15: 037(夢想)
  • 1953/10/19: 050
  • 1953/10/22: 065(過去の夢の中)
  • 1953/10/24: 068, 069(はじめの夢)
  • 1953/12/27: 096(グリンカの「マドリッドの夏の夜の夢」)
  • 1954/1/5: 112, 113(「夢」)
  • 1954/2/16: 118(お母様を訪ねる夢)
  • 1956/3/24: 131
  • 1956/4/12: 160
  • 1956/5/10: 169
  • 1956/9/3: 202
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 222
  • 1957/4/19: 232
  • 1957/4/26: 261, 263
  • 1957/6/3: 283-286
  • 1957/9/14: 366
  • 1958/4/25: 454-455(夢の映像)
  • 1958/4/27: 455, 457(「夢」), 458, 459, 461
  • 1957/7/18: 322
  • 1957/9/14: 366(夢の破壊)
  • 1957/9/22: 379(夢幻的な色彩の流れ)
  • 1958/4/25: 455(現実が夢に還ってゆくというこの過程)
  • 1958/4/27: 455, 457(「夢」), 458(経験から湧き出す夢), 459(創造された尊いパリの夢), 460(夢と憧憬の念), 461

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/19: 047-052
  • 1959/1/1: 083
  • 1959/10/2: 131
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 177(夢の城)
  • 1963/9/7: 214(夢と呼ぶには余りに的確で執拗な何ものか)
  • 1965/12/30: 259
  • 1965/12/31: 262(無用な夢)
  • 1966/1/9: 264(夢のようにはかないまぼろし
  • 1966/3/28: 277(殆ど夢の中に在るような恍惚感)
  • 1966/11/27: 311(これまで僕が夢想だにできなかった困難なこと)
  • 1967/3/10: 324(三十三年前の悪夢)
  • 1967/3/11: 326
  • 1967/3/27: 338
  • 1967/4/10: 357
  • 1967/5/28: 377(孤独の夢想), 378(夢の世界)
  • 1967/6/12: 426(夢想的な企て)
  • 1967/6/14: 430(悪夢)
  • 1967/8/21: 449, 450(仮寝の夢), 451(夢の実現)
  • 1967/8/30: 471(昔の夢)
  • 1967/8/31: 478(もう移り渝ることのない堅固な夢の世界)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 011(深層心理と呼べば呼べそうな一種の夢の世界のようなもの), 037(第三次大戦の悪夢)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 071
  • 「遥かなノートルダム」: 091
  • 「ある夏の日の感想」: 132(夢の国)
  • 「ルオーについて」: 196
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 025(夢幻の国の町)
  • 「旅の空の下で」: 097
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 188, 193-197(ある夜の夢), 201

日記

  • 1965/9/2: 3-419-421(不思議な夢)
  • 1968/1/8: 4-483-485
  • 1975/7/31: 5-506