森有正エッセー集成 索引

森有正エッセー集成(ちくま学芸文庫)の索引

[語彙]智慧

集成1

『流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/8/30: 459(勇気と智慧と意志)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 019(実践の智慧

集成4

『旅の空の下で』

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 312(人々乃至民衆の「智慧」)

[語彙]知識人、知識階級

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「パリの生活の一断面」: 162

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 036(ある若いインテリの女性)
  • 「文化の根というものについて」: 174, 178(現代フランスの知識人), 181(インテリ的)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 187

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリで中国を想う」: 117
  • 「大陸の影の下で」: 160

[語彙](森明)→家族

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 010
  • 1953/12/25: 083
『流れのほとりにて』
  • 1957/6/3: 285
  • 1957/6/27: 305(病苦になやんでいた父)
  • 1958/2/9: 418(いつも静に存在している父)
  • 1958/4/30: 463

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/4/13: 205(父母), 207
  • 1963/9/7: 213-214
  • 1966/1/26: 276(稚い日の、父や母、祖母たちの姿)
  • 1967/4/6: 353
  • 1967/5/28: 378(父親としての子供に対する生活の真理)
  • 1967/6/18: 436
  • 1967/6/27: 445(まだ父もなく母もない原始の罪)
  • 1967/11/4: 491

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートル・ダム」: 091-094
  • 「ルオーについて」: 178(ルオーのお父さん), 183(厳しい父親)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 210

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 080(父母未生以前本来の面目)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 124, 128

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 089
  • 「わが思索わが風土」: 185, 186
「故国日本にまつわるエッセー」

日記

  • 1965/9/2: 3-421
  • 1965(日付なし): 3-429
  • 1967/12/17: 3-449-450
  • 1967/12/27: 3-488
  • 1967/12/31: 3-508-510
  • 1968/1/11: 4-487

[語彙]秩序

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/4/12: 163
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 216
  • 1957/4/26: 261(美の秩序), 262(僕の心の秩序), 263, 268(精神の秩序)
  • 1957/4/27: 268(美における価値の秩序), 269(美の秩序)
  • 1957/7/5: 310(厳正な幾何学的秩序)
  • 1957/7/20: 331(人間の全エネルギーの人間的秩序づけ)
  • 1957/9/15: 372(いわゆるギリシア的秩序)373(普遍の女性の真摯な秩序)
  • 1957/9/22: 382(自然の中に課せられた精神の秩序)
  • 1958/2/9: 419(隠れた秩序)
  • 1958/2/10: 420(人間存在の見えない秩序)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/8/31: 479(「秩序」), 480
  • 1967/11/8: 496

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 071(生活の秩序としての経験)
  • 「遥かなノートルダム」: 081

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 045
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 126
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 278(空間的秩序)

[語彙]中学→暁星学校

[事項]中国中共日中問題、日中復交

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/13: 025(唐文明)
  • 1956/4/6: 154(支那料理屋)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 029
  • 1958/12/31: 081(支那文字、中国語)
『砂漠に向かって』
  • 1966/9/6: 290(支那事変)
  • 1966/9/14: 296(古典中国語), 297(中国古典全体), 298(中国文明
  • 1967/3/9: 322(文化革命)
  • 1967/3/11: 326(夢の中の印象では場所は北京), 327
  • 1967/3/26: 335(中国人)
  • 1967/4/17: 360(中国ないし社会主義国
  • 1967/4/23: 366
  • 1967/5/14: 369(和田清先生の「中国史」)
  • 1967/5/15: 370(中国の古代民衆), 372
  • 1967/5/26: 374(古代中国)
  • 1967/6/3: 386(中国革命の動向)
  • 1967/6/7: 400(中国人民), 401-403
  • 1967/6/8: 405(日本語や中国語), 406
  • 1967/6/9: 409, 411(古代中国語)
  • 1967/6/10: 417
  • 1967/6/11: 422(中国料理店)
  • 1967/6/13: 428(中国の状態)
  • 1967/6/16: 433(中国飯店)
  • 1967/8/30: 455
  • 1967/8/31: 476(中華料理), 478(中国の厳しい山や谷)
  • 1967/11/8: 497(中華料理)
  • 1967/11/14: 498

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 028(中共), 035
  • 「遥かなノートルダム」: 085(中国語の影響), 099-101
  • 「パリの生活の一断面」: 145(中国語)
  • 「滞日雑感」: 236

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 019, 064(中国の文化革命)
  • 「旅の空の下で」: 070(文化大革命), 076, 083, 087
  • 「一九六八年の夏の反省」: 111(新たに現われた共産主義中国)
  • 「文化の根というものについて」: 158(中共), 175
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 202(古代中国文明), 204(中国文化)
  • 「シャルトルと法隆寺」: 246

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリで中国を想う」: 109-135
  • 「大陸の影の下で」: 136-179
  • 「わが思索わが風土」: 191
  • 「感想」: 200, 212, 223, 226, 228, 232, 235(中国帝国)
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「八月十五日の感想」: 287, 288, 289, 290
  • 「現下の時点にあたって思う」: 293, 296, 301
  • 「三十年という歳月」: 304(中国軍), 309(新中国の成立), 315

日記

  • 1957/1/12: 1-518(漢・隋・唐)
  • 1957/1/27: 1-531
  • 1959/3/15: 2-507
  • 1959/3/16: 2-510
  • 1960/9/9: 2-545
  • 1964/9/16: 3-376
  • 1965/3/17: 3-396
  • 1965/3/18: 3-400
  • 1965/3/20: 3-403(西安と洛陽の写真)
  • 1969/4/20: 4-566
  • 1970/2/25: 5-328-329
  • 1971/1/11: 5-372
  • 1971/1/14: 5-377-378
  • 1971/4/3: 5-421

[語彙]調性、トナリテ

集成4

『旅の空の下で』
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 126
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 260

[事項][場所]朝鮮

集成1

『流れのほとりにて』

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/25: 070(朝鮮語の講師李君)
『砂漠に向かって』
  • 1966/9/5: 287(朝鮮戦争の最中)
  • 1967/3/26: 335(韓国人)
  • 1967/3/30: 347(韓国人)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 010(朝鮮半島では戦火)
  • 「遥かなノートルダム」: 100
  • 「滞日雑感」: 236(南北に割れている朝鮮)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 083
  • 「文化の根というものについて」: 158(朝鮮戦争

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリで中国を想う」: 125
  • 「大陸の影の下で」: 170

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」

日記

  • 1957/1/12: 1-518
  • 1968/1/28: 4-498
  • 1968/1/29: 4-500

[語彙]調和→エキリーブル平衡、諧和

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 024(内面の調和)
  • 1953/10/19: 050(調和のある世界)
  • 1953/10/22: 064(諧和)
  • 1953/10/24: 067
  • 1953/12/27: 105
  • 1956/5/9: 165(「調和の法則と伝統」), 166
  • 1956/8/30: 184, 187
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/19: 235(調和)
  • 1957/6/1: 279(無限に深く透明な色調の諧和)
  • 1957/6/10: 287(違う音色の醸し出す感触とその諧和)
  • 1957/7/5: 309(美の調和)
  • 1957/8/19: 344(感覚の調和)
  • 1957/8/22: 345(感覚的要素の調和)
  • 1957/9/13: 360(宗教的なものと卑俗な人間的なものとのこの見事な調和), 362-363
  • 1957/9/22: 378
  • 1958/4/15: 448
  • 1958/4/27: 457

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/8/31: 282
  • 1966/11/30: 315
  • 1967/4/6: 352
  • 1967/5/26: 374(凡ゆる表現も及ばぬ諧和)
  • 1967/8/31: 487(諧和)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 078(音楽的な調和), 088-089
  • 「ある夏の日の感想」: 128(等質的に調和した音階組織)
  • 「ルオーについて」: 190(自己の内部にある秩序と調和)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 218
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 043(諧和)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 196(大きい、調和した弛緩状態)
  • 「初秋のパリから」: 222
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 280(人間的価値とその調和のとれた表現)