ろ
[語彙][哲学]労働、勤労、労働者
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/22: 063(労働者)
- 1953/10/31: 078(労苦)
『流れのほとりにて』
- 1958/2/2: 409(パリの東部の勤労者街の一角), 413(パリの労働者街)
- 1958/2/24: 434(勤労者だけが住んでいるアパート)
- 1958/3/13: 444(工場と労働者街)
集成2
『砂漠に向かって』
- 1963/9/10: 225(労働者らしい人が二人)
- 1963/9/13: 233(大労働)
- 1966/8/31: 281(パリの労働者街)
- 1967/3/31: 349(労働と実存), 350(一人の労働者)
- 1967/4/23: 367
- 1967/11/14: 499(働くこと)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「霧の朝」: 031(労働問題)
- 「ひかりとノートル・ダム」: 061(労働時間の短縮)
- 「ルオーについて」: 191(不断の労働), 199(労働者), 201
- 「思索の源泉としての音楽」: 212(自己の働きと仕事)
- 「滞日雑感」: 223(日々の勤労)
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 033(仕事と勤労と組織)
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 199(働き、仕事などという言葉)
その他
- 「リールケのレゾナンス」: 268(働いて食うということ)
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「感想」: 206, 207
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「三十年という歳月」: 318(自分で働き)
日記
- 1970/12/29: 5-368-369(労働者)
[場所][欧州]ローマ→イタリア
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/22: 065(レコードで買ってきたローマのシスティン会堂のミサ曲)
- 1953/12/27: 102(普通うんざりするローマの彫刻)
- 1956/3/24: 134(ローマから下さった、デルフのアテナ神殿廃墟の絵はがき)
- 1956/8/30: 179(ローマの遺跡), 180(異教ローマ), 181, 183(ローマ時代の門), 184-185
- 1956/8/31: 190(ローマ時代の遺跡)
- 1956/9/2: 192(ローマ時代の遺跡メゾン・カレ), 195(ローマ末期)
- 1956/9/3: 201(ローマの遺跡)
『流れのほとりにて』
- 1957/4/18: 217(古代ローマの植民年)
- 1957/7/18: 324
- 1957/9/22: 379-381
- 1957/12/25: 401-402
- 1958/4/30: 465(クリュニーのローマの浴場の跡)
集成2
『砂漠に向かって』
- 1963/9/7: 211-212, 215-216
- 1963/9/8: 217-222
- 1963/9/10: 222-228
- 1963/9/13: 229-235
- 1963/9/17: 238, 240-241
- 1965/8/1: 246(ローマ時代の石棺やブロンズ彫刻)
- 1965/12/5: 254(ローマ人)
- 1965/12/30: 259(ローマ時代の建築物)
- 1966/11/30: 313
- 1967/6/6: 394(ローマ帝国の辿った過程)
- 1967/8/30: 455, 459(ローマの植民市だったというラ・シオタ), 460(ローマの闘技場), 461-462
集成3
『遥かなノートル・ダム』
集成4
日記
- 1957/5/8: 1-554(ギリシア・ローマ文明)
- 1960/9/12: 2-547(ローマのオリンピック競技)
- 1964/6/14: 3-344
- 1965/3/17: 3-396
- 1965/4/21: 3-414
- 1967/12/25: 3-474
- 1967/12/30: 3-499, 502
- 1971/1/11: 5-372
- 1971/1/12: 5-374
- 1971/4/3: 5-423
- 1971/4/9: 5-427
[人名][宗教]ローマ法王
集成2
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「霧の朝」: 030(ポール6世), 033(法王不可謬の教義)
- 「ルオーについて」: 192
日記
- 1959/3/22: 2-521(ヨハネス二十三世)
- 1964/9/15: 3-375(パオロ六世)
- 1968/1/28: 4-498
- 1968/2/11: 4-508
[事項][美術]ロマネスク(ロマン様式)→ゴチック、ビザンツ
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/9: 022(マルセイユ、サン・ヴィクトル教会), 023
- 1953/10/17: 038(ピザ)
- 1953/12/27: 105
- 1956/3/24: 126
- 1956/3/31: 147, 148
- 1956/4/12: 163(サン・ジェルマン・デ・プレの教会)
- 1956/5/9: 166
- 1956/8/5: 171
- 1956/8/30: 181, 184
- 1956/9/2: 192, 195
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/12/13: 059
- 1958/12/14: 062
- 1959/10/2: 129
『砂漠に向かって』
- 1952年 ノエルの宵: 190
- 1963/9/8: 218-219
- 1963/9/10: 225(サンタ・マリア・イン・コスメディン教会)
- 1963/9/13: 234(ロマンの教会)
- 1963/9/17: 240
- 1966/3/28: 277(スペインのセコヴィアのある広場の隅にあるロマネスクの聖堂)
- 1966/8/31: 282
- 1966/9/3: 286(サン・ニコラ・デ・シャン教会のロマン式塔や外陣部)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「ひかりとノートルダム」: 043
- 「ある夏の日の感想」: 119, 129
- 「ルオーについて」: 191, 202
集成4
その他
- 「リールケのレゾナンス」: 281(ル・マン)
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「暗く広い流れ」: 080
- 「パリ」: 257(「パリの古寺」),258, 260
日記
- 1964/9/2: 3-369
- 1968/1/15: 4-489
- 1970/12/29: 5-367
[人名][宗教]ロヨラ→Loyola, Ignacio López de
[人名][文学]ロマン・ロラン→Rolland, Romain
[事項][文学]『論語』、儒教→孔子
集成2
『砂漠に向かって』
- 1966/1/10: 266(吾十有五而志于学)
- 1967/3/9: 321(第六の十、第六の二十)
- 1967/3/10: 323
- 1967/3/11: 327
- 1967/4/19: 363
- 1967/4/22: 363
- 1967/4/23: 364
- 1967/5/14: 369(「論語」を読み了えた)
- 1967/5/15: 370
- 1967/6/3: 382
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「ひかりとノートル・ダム」: 060
集成4
『旅の空の下で』
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 206(「克己復礼為仁」)
日記
- 1964/11/1: 3-377
- 1967/12/28: 3-493
- 1968/2/17: 4-509
- 1968/2/18: 4-511
- 1968/2/24: 4-516
- 1971/1/12: 5-373
- 1971/3/2: 5-397
- 1975/8/3: 5-507
[場所]ロンドン→ブリティッシュ・ミュゼアム
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/19: 051
- 1953/12/25: 080-088
- 1953/12/26: 091-094
- 1953/12/27: 094-105
- 1954/1/5: 106, 107
- 1956/3/30: 146
集成2
『砂漠に向かって』
- 1963/9/13: 235
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「滞日雑感」: 235
集成4
『旅の空の下で』
- 「文化の根というものについて」: 180
- 「シャルトルと法隆寺」: 249, 253
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「パリ」: 259(ウェストミンスター・アベー)
日記
- 1954/5/18: 1-475, 481