森有正エッセー集成 索引

森有正エッセー集成(ちくま学芸文庫)の索引

この索引について

このはてなダイアリーがめざしているのは、森有正作品の語彙索引です。
底本は、『森有正エッセー集成』(全5巻、二宮正之編、ちくま学芸文庫、1999)です。
この索引は、まだ、またつねに作業中です。
見出し語を抽出しながら、索引を作っています。第1巻の作業中に見出し語としなかった語を以降の巻で見出し語にする場合もあります。従って、例えば、現時点では第5巻にのみ登場するように見えても、事実そうとは限りません。
登場ページは、原則、話題が継続している場合にはXX-XXのように、話題が途切れて再登場する場合にはXX, XXのように記述していますが、厳密ではなく、その間で主な話題になっているというわけでもありません。また、一つの語が同じページに複数登場することもあるので、ページの記載数と登場回数は一致しません。
登場ページのあとに見出し語を含む語句を記述していますが、同じページに複数回登場することもあり、抜書きされた語句だけで書かれているわけではありません。

[語彙][宗教]愛、愛情→恋愛肉交

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 017(愛情)
  • 1953/10/13: 028(愛の砂漠), 029
  • 1953/10/15: 035(この町を愛する心)
  • 1953/10/17: 040, 041
  • 1953/10/19: 048, 049, 050(神の愛の宇宙的支配)
  • 1953/10/20: 056(宗教と愛情と学問), 061
  • 1953/10/24: 070(神を愛し敬う)
  • 1953/10/31: 079
  • 1953/12/25: 083(愛の親密さ), 084
  • 1953/12/26: 092(愛着と尊敬)
  • 1953/12/27: 097(本当の愛), 098(唯一回限りの人生と愛)
  • 1954/1/5: 107, 111(プルーストマゾヒズム的同性愛), 113
  • 1954/2/16: 115(新しい愛), 116, 119(母の愛)
  • 1956/3/24: 131(日本を愛していること)
  • 1956/3/26: 138(友情とか愛情とかいうこと)
  • 1956/4/1: 151(愛や憎悪)
  • 1956/8/5: 171(愛の共同体), 172(花の愛玩)
  • 1956/8/6: 174(生の人間の愛情と感情)
  • 1956/9/2: 199
  • 1956/9/3: 200
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/19: 232
  • 1957/4/20: 237
  • 1957/4/21: 243, 244
  • 1957/6/1: 276, 277
  • 1957/6/10: 290(所謂愛なるもの), 291(無関心の愛情)
  • 1957/6/12: 293
  • 1957/6/14: 299
  • 1957/9/22: 385
  • 1957/12/22: 398(パスカルの愛の構造)
  • 1958/2/9: 418
  • 1958/3/13: 441(自分の国を愛し、そのために働く)
  • 1958/4/30: 466

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/10: 055(自分とパリと仕事と愛情と、自分が生れた日本と)
  • 1958/12/24: 068(キリスト教的な神秘的愛の実体性)
  • 1959/8/19: 095(愛情、欲望、学問、仕事など), 096
  • 1959/8/25: 109
  • 1959/10/4: 146-147
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 191
  • 1963/9/8: 220(敵に対する愛)
  • 1963/9/13: 237(愛と結婚との矛盾)
  • 1965/12/4: 251
  • 1966/9/6: 290(成熟につれて必然的に起って来る愛情の問題)
  • 1967/3/30: 345(愛と死の近似性)
  • 1967/3/31: 350
  • 1967/6/9: 413(「愛」の問題), 415(自分の家族に対する愛と憎しみとの只ならぬ交替), 416(「愛」)
  • 1967/6/11: 424(同性愛的)
  • 1967/6/18: 439-440
  • 1967/6/21: 441(親愛の情)
  • 1967/6/27: 443(「愛」と「憎しみ」)
  • 1967/8/21: 453(孤独を愛する)
  • 1967/8/30: 469

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 130, 131-132(『愛』)
  • 「パリの生活の一断面」: 138(「愛」の思想)
  • 「ルオーについて」: 183(恋愛と愛との間), 192, 201-202
  • 「滞日雑感」: 225, 235
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 047(「愛情」)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 106(愛情の発露)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 132(愛好の対象)
  • 「文化の根というものについて」: 164(愛の体験), 176(同性愛)
  • 「初秋のパリから」: 216(男女の愛), 227
  • 「偶感」: 245(愛と死)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 159
  • 「パリ」: 243
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 301
  • 「三十年という歳月」: 317(愛情を遍歴)

日記

  • 1968/1/3: 4-475-476
  • 1968/2/18: 4-510
  • 1968/2/26: 4-518
  • 1968/10/30: 4-533-535
  • 1968/10/31: 4-537
  • 1968/11/2: 4-537
  • 1969/2/2: 4-551
  • 1969/2/9: 4-553
  • 1969/3/23: 4-557-558
  • 1969/4/20: 4-566
  • 1969/5/11: 4-568
  • 1970/1/25: 5-323-325
  • 1970/12/14: 5-353
  • 1971/3/27: 5-411-412
  • 1971/4/12: 5-433-435
  • 1972/2/8: 5-482
  • 1972/12/29: 5-494
  • 1973/3/4: 5-498
  • 1973/3/6: 5-498
  • 1973/3/28: 5-501

[語彙]愛欲性欲肉交

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 017
  • 1953/10/20: 056

[人名][宗教]アウグスティーヌス→Augustinus, Aurelius

[語彙]アヴァンチュール(avanture)→冒険

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 036(冒険的な実存)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 155, 159

日記

  • 1969/1/13: 4-548

[語彙][宗教]証し、直証→証言

集成1

『流れのほとりにて』

  • 1957/4/21: 245(直証)
  • 1957/6/16: 303(感覚の本当の独立性の証し)
  • 1957/12/22: 398
  • 1958/4/22: 451(無言の証し)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/4/13: 203

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 017, 038
  • 「ルオーについて」: 170

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 079
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 204(日本人の証し)
  • 「偶感」: 240
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 260(必然性、あるいは実体性の証し)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 026(自分を証しするものの誕生)
  • 「パリ」: 243

[人名][宗教]アクィナス(トマス・アクィナス)→Aquinus, Thomas

[人名][文学][日本]芥川龍之介

集成1

『流れのほとりにて』

  • 1957/6/13: 295
  • 1957/9/30: 389
  • 1957/12/22: 396
  • 1957/12/25: 401

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1965/12/31: 261(芥川の作品集)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「パリの生活の一断面」: 156

集成4

『旅の空の下で』
  • 「『ことば』について」: 150-153
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 205

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「感想」: 239

日記

  • 1956/11/15: 1-505
  • 1959/3/17: 2-512
  • 1959/6/23: 2-542
  • 1960/9/17: 2-549
  • 1960/10/1: 2-561
  • 1960/10/3: 2-561
  • 1964/8/30: 3-366
  • 1970/11/28: 5-349
  • 1971/1/26: 5-389

[語彙][宗教]悪魔

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/1/10: 268

[場所][欧州]アッシージ、アシージ、アッシジ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/24: 068, 072

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/9/17: 238-239

[語彙]アーム→

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/3/24: 132

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

[事項][場所]アフガニスタン

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 076-079, 082-085
  • 「一九六八年の夏の反省」: 109

日記

  • 1967/12/24: 3-472
  • 1967/12/30: 3-500
  • 1968/1/15: 4-490
  • 1968/2/22: 4-514
  • 1968/10/22: 4-531

[人名][宗教]アブラハムAbraham

[事項][場所]アフリカアルジェリア

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 017
  • 1953/10/14: 032(モロッコのタンジェ)
  • 1953/12/25: 084(東アフリカのジブチ
  • 1954/2/16: 117(東アフリカのジブチ
  • 1954/2/16: 122(北アフリカの切り立つ灰色の断崖)
  • 1956/4/6: 155(ジブチ
  • 1956/4/12: 160, 162(エティオピア、エジプト、リビア北アフリカ一帯)
  • 1956/9/3: 204(スペインのタリファから見た対岸アフリカの岩の壁)
『流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 176(東アフリカ、ジブチ), 185-186(「アフリカの光」), 188, 190(アフリカノテュニジア)
  • 1956/7/15: 201
  • 1963/9/8: 219(アフリカのユグルタ)
  • 1965/12/5: 253
  • 1967/3/26: 335(アフリカ人)
  • 1967/4/6: 353(アフリカ問題)
  • 1967/6/7: 403(北アフリカ諸国)
  • 1967/6/13: 428(アフリカ諸国)
  • 1967/8/31: 482

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 035(アフリカ諸国)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 048(アジア・アフリカの独立の問題), 074(地階のアフリカ人のバー)
  • 「パリの生活の一断面」: 161(アジア、アフリカに拡がった古代のキリスト教

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 062(アジア、アフリカの民族の解放)
  • 「旅の空の下で」: 102
  • 「一九六八年の夏の反省」: 111(アジア・アフリカの世界)
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 263

日記

  • 1954/5/18: 1-480
  • 1957/1/12: 1-519
  • 1960/9/8: 2-544(東アフリカのヂブチ近傍)
  • 1967/12/31: 3-509

[語彙]雨→

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/10/8: 009(暗黒のクリークに降り注ぐ豪雨)
  • 1953/10/14: 031
  • 1953/10/20: 060-061(風雨)
  • 1953/10/22: 064-065
  • 1953/10/24: 066(雨と霧), 070(細雨)
  • 1953/10/31: 074(雨と風の中の三週間のイタリア旅行), 075(篠つく雨), 080
  • 1953/12/26: 088(大粒の雨), 089
  • 1953/12/27: 101(雨のしとしと降るくらい、なま暖い日)
  • 1954/2/16: 114(暴風雨)
  • 1956/3/24: 126(豪雨), 133(遥かかなたの暴風雨), 134(小雨)
  • 1956/8/31: 191(風雨)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/26: 260(細い雨)
  • 1957/7/7: 313(夕立)
  • 1957/9/13: 359
  • 1957/12/29: 405
  • 1958/1/1: 407(雨に濡れた歩道)
  • 1958/2/2: 410(時雨を孕んだ薄黒い雲)
  • 1958/2/16 426(時雨を孕んだ黒い雲)
  • 1958/2/24: 432(早春の雨)
  • 1958/4/22: 451(暴風雨)
  • 1958/4/27: 460(細かい雨)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 162, 165(糠のように細かい雨), 166(道路の雨水), 179
  • 1956/7/15: 199(夕立)
  • 1963/9/7: 213
  • 1963/9/7: 215(細雨)
  • 1963/9/10: 222-227
  • 1965/12/4: 248-249(雨に濡れた街路)
  • 1965/12/29: 256(連日の降雨)
  • 1966/1/3: 263
  • 1966/9/3: 283(激しい夕立), 287(小雨)
  • 1966/9/5: 287(夕立)
  • 1966/11/30: 314(冷たい雨), 315(晩秋の雨)
  • 1966/12/2: 317(冷たい雨)
  • 1967/3/1: 319
  • 1967/3/9: 321(雹まじりの雨)
  • 1967/4/10: 357(夏のはじめの日々の繊細な雨)
  • 1967/6/3: 382(烈しい風雨)
  • 1967/8/21: 450(モンスーンの雨), 454
  • 1967/8/30: 462(時雨), 463, 467(俄か雨), 476(雨天)
  • 1967/8/31: 482

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 009, 035(小雨)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 042(風雨)
  • 「遥かなノートルダム」: 097(暴風雨)
  • 「赤いノートルダム」: 111, 113(豪雨), 114, 117(風雨の侵食)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 022(驟雨), 065, 067
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 272(冷たい雨), 275, 280

[事項][場所]アメリカ、北米、米

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/8/19: 025
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 181(アメリカ映画)
  • 1956年 初夏: 193
  • 1956/7/15: 201
  • 1965/12/4: 252(アメリカ人)
  • 1965/12/5: 253(アメリカを中心とする北大西洋同盟)
  • 1966/8/31: 280
  • 1966/9/7: 292
  • 1967/4/6: 353(ラテン・アメリカ問題)
  • 1967/4/17: 360(合衆国での巨大なデモンストレーション)
  • 1967/4/23: 366
  • 1967/5/15: 372
  • 1967/6/6: 396-397
  • 1967/6/7: 401(アメリカ国民)
  • 1967/6/10: 418

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 028(米軍), 036-037(米ソの対立緊張)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 048(黒人問題)
  • 「遥かなノートルダム」: 100(アメリカの基地群の網)
  • 「滞日雑感」: 236(アメリカのヴェトナム介入), 238
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 019(米ソの対立), 021, 053(アメリカの社会), 064
  • 「一九六八年の夏の反省」: 105, 106(男女の関係交渉のヨーロッパ・アメリカ的方式), 111(アメリカを中心とする自由主義をモットーとする資本主義陣営)
  • 「『ことば』について」: 145
  • 「文化の根というものについて」: 158-159

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 274
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「故国の情感」: 281
  • 「八月十五日の感想」: 287, 289, 290
  • 「現下の時点にあたって思う」: 296
  • 「三十年という歳月」: 304(アメリカ単独の占領), 309(アメリカ軍の占領), 313-315

日記

  • 1957/1/12: 1-519
  • 1957/1/27: 1-531
  • 1960/9/10: 2-545
  • 1960/9/12: 2-547
  • 1964/6/14: 3-345
  • 1964/9/3: 3-371
  • 1967/12/29: 3-494
  • 1968/3/16: 4-526
  • 1968/10/22: 4-531
  • 1968/12/28: 4-544

[語彙]

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/13: 029
  • 1953/10/13: 029
  • 1953/10/14: 030(嵐を帯びた黒雲)
  • 1953/10/15: 034
  • 1953/10/19: 050(嵐の黒雲)
  • 1956/3/24: 133(あらし)
  • 1956/3/26: 137(冬の嵐の真夜中)
  • 1956/9/2: 197(嵐を帯びた灰色の空)
『流れのほとりにて』
  • 1957/9/22: 385
  • 1958/4/22: 451

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/1/10: 266(大海の嵐), 267(嵐の吹く曠野)
  • 1966/9/5: 287(嵐気味)
  • 1967/4/11: 358(嵐のさ中)
  • 1967/6/27: 445
  • 1967/11/4: 494

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 029(迫害の嵐)
  • 「遥かなノートルダム」: 077(あらしを孕む日暮がた)
  • 「赤いノートル・ダム」: 116(嵐模様), 117(嵐を孕む少しも赤くない黒雲)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 211(雨の日も風の日も)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 026
  • 「シャルトルと法隆寺」: 246

[事項][語彙][場所]アラブ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 013(アラブ人)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/6/13: 427
  • 1967/6/14: 429(ナセルとそのアラブ主義), 430
  • 1967/6/21: 441(アラブ世界)
  • 1967/6/27: 443(「タン・モデルヌ」のイスラエル・アラブ特輯号), 446-447(イスラエル・アラブ紛争)

集成4

『旅の空の下で』

日記

  • 1956/11/10: 1-500

[人名][哲学][フランス]アラン→→Alain

[人名][文学][日本]有島武郎

日記

  • 1971/1/26: 5-389

[語彙][哲学]在る、在ること→存在

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 009
  • 1953/10/9: 013(人間が人間らしく在る)
  • 1953/10/19: 052(一箇の男性がそのものとして、そこに在るというもの)
  • 1953/10/20: 061
  • 1953/12/25: 081(「自分というものが在る」)
  • 1953/10/31: 076(永遠に在るものの記号)
  • 1956/3/26: 137(ただ「在る」ということの深い意味), 138
  • 1956/8/6: 173(実存主義でいう「そこに在る」)
『流れのほとりにて』
  • 1957/6/12: 293(「在る」ということの本当の意味)
  • 1957/7/7: 316
  • 1957/7/18: 324
  • 1957/8/13: 339
  • 1957/9/13: 365(客観的に在る何か)
  • 1957/9/15: 370
  • 1957/12/22: 399(存在として在る自己)
  • 1957/12/29: 404(「が在る自己」)
  • 1958/2/2: 413(感覚を超えるところに在る、すなわち精神に在る)
  • 1958/2/3: 415-416
  • 1958/4/30: 466

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 029
  • 1958/11/4: 034
  • 1958/12/31: 080
  • 1959/1/1: 083(在り始めた)
  • 1959/1/3: 087(最初の出発の状態に在る)
  • 1959/9/1: 115
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 169(現実にあるということ), 188
  • 1967/3/28: 342(常にそこに在った)
  • 1967/4/8: 354(現に存している場所に、このように在ること)
  • 1967/4/23: 367(在ると言えば在る)
  • 1967/6/3: 386(「現に在るもの」)
  • 1967/6/4: 389(そこに在るこの私)
  • 1967/6/10: 419(自分が「在る」ところのそのもの)
  • 1967/6/27: 444(人が在るところのもの), 445
  • 1967/8/21: 451
  • 1967/8/30: 456-457, 459, 461
  • 1967/8/31: 476(東京に在る自己), 478, 481
  • 1967/11/3: 487
  • 1967/11/4: 490-492
  • 1967/11/7: 496
  • 1967/11/14: 499

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 072(本当に在るもの)
  • 「遥かなノートルダム」: 079, 080(「我思う、故に我在り」), 106, 108
  • 「ルオーについて」: 168, 170, 187(『ひとり在る』), 191(本当に「在る」), 192-193(「在ること」)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 212
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 014(「在る」), 017(そこに在る), 027, 057-058
  • 「旅の空の下で」: 080(正に在った), 098(本当に在るもの)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 120, 135, 137
  • 「文化の根というものについて」: 161
  • 「初秋のパリから」: 215
  • 「シャルトルと法隆寺」: 250, 254

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 242

[場所]アルジェリアアルジェリア人→アフリカ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 035(アルジェリア問題), 036
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 048(北阿問題)
  • 「ルオーについて」: 200
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』

日記

  • 1957/1/27: 1-531
  • 1960/9/30: 2-560
  • 1962/6/11: 3-318
  • 1964/7/26: 3-359
  • 1967/12/26: 3-483
  • 1971/2/25: 5-396

[語彙]曠野、荒野→砂漠

[語彙]アンカルナシオン

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1958/2/17: 427, 428

[場所][宗教]アンコールワットカンボジア

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 073-075

日記

  • 1968/10/22: 4-532

[語彙]アンゴワッス→苦悩

[人名][宗教]アンセルム、聖アンセルムスAnselmus Cantuariensis

[人名][美術][日本]安藤広重浮世絵

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/4/22: 252

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 043

[場所][パリ]イヴリ

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/8/3: 022
  • 1958/12/13: 057
  • あとがき: 156

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ルオーについて」: 200

集成4

『旅の空の下で』
  • 「初秋のパリから」: 209-210, 215, 219, 220

日記

  • 1959/3/22: 2-522
  • 1964/6/14: 3-342
  • 1964/11/17: 3-379(Tsukareta ashi-o hikizutte Ivry e kaetta.)
  • 1964/11/28: 3-382
  • 1964/12/8: 3-387
  • 1964/12/11: 3-388
  • 1965/3/17: 3-397
  • 1965/3/18: 3-398
  • 1965/3/21: 3-403
  • 1965/4/25: 3-415
  • 1974/6/3: 5-504

[語彙]、家の問題→家族親子

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/6/12: 291(家の問題)
  • 1957/12/25: 401(家の問題)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 028

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 095(困難な一身上の問題), 098(家庭の問題)
  • 「初秋のパリから」: 200(家、インムーブル)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「木々は光を浴びて、……」: 062
  • 「パリで中国を想う」: 123-124
  • 「大陸の影の下で」: 164, 169, 174, 176

[語彙]異国人→外人、外国人

[語彙][哲学]意志

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 022
  • 1953/10/20: 057
  • 1953/10/31: 080
  • 1953/12/25: 084(今あるものを破壊して先へ進もうとする意志), 085(欲望と意志の限り)
  • 1953/12/27: 097
  • 1954/2/16: 115, 116
  • 1956/3/27: 141
  • 1956/8/30: 181(本能的意志)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 227(定義に終局する経験と、定義から発出する意志との問題
  • 1957/4/21: 249
  • 1957/6/1: 275
  • 1957/6/13: 296
  • 1957/6/14: 297(意志というものの本態)
  • 1957/6/16: 301
  • 1957/7/20: 327(僕の意志の中核)
  • 1957/8/22: 345
  • 1957/8/23: 348
  • 1957/9/14: 367
  • 1957/9/22: 384-385
  • 1957/9/23: 386
  • 1958/2/3: 416, 417(意志的努力)
  • 1958/2/10: 422-423
  • 1958/3/13: 442
  • 1958/4/27: 459

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 014
  • 1958/8/3: 020
  • 1958/11/4: 033
  • 1958/11/11: 042
  • 1958/11/19: 049, 052
  • 1959/1/3: 087(意志と倫理)
  • 1959/1/5: 090, 092
  • 1959/8/25: 109-110
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 172(意志的な精神), 191(自分の意志以外あるいは以上のもの)
  • 1956年 初夏: 197(意志的な態度)
  • 1963/9/7: 214-215(意志と孤独)
  • 1966/9/18: 302
  • 1967/3/26: 335(創造的意志)
  • 1967/3/29: 343
  • 1967/4/11: 358(意志から実行への運動)
  • 1967/4/23: 364(意志的忘却)
  • 1967/5/26: 375(真実の意志)
  • 1967/6/3: 384
  • 1967/6/6: 394
  • 1967/6/11: 421
  • 1967/6/18: 434, 435(「意志が正しく欲すること」)
  • 1967/8/21: 453(アランの「自由意志」の説)
  • 1967/8/30: 459(勇気と智慧と意志), 473

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 029(意志の決定全体の根拠), 031(良心(誠実な意志)の自由)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 045(自由な意志), 062, 069(意志的なこと), 076
  • 「遥かなノートル・ダム」: 080, 102(日本国民の意志)
  • 「パリの生活の一断面」: 163(「意志」)
  • 「ルオーについて」: 194-195, 205(神の意志), 206(人間意志)
  • 「滞日雑感」: 237, 238(平和の意志), 240

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 031(国民の意志), 039(意志的態度)
  • 「旅の空の下で」: 072(意志決定の能力), 075(「意志的」信仰), 076, 080-081, 091(意志的態度), 095(ただ一つの意志、あるいは願い)
  • 「文化の根というものについて」: 171(意志的存在), 175, 176, 177
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 196(祈ることを欲しない意志), 197(意志の強度の次元), 202
  • 「初秋のパリから」: 227
  • 「偶感」: 239, 244
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 261(感性から意志に到る人間の在り方の全体), 266-267, 268(感覚の底に在る意志), 169

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 084
  • 「パリで中国を想う」: 126, 127
  • 「大陸の影の下で」: 154, 166, 167
  • 「わが思索わが風土」: 194, 196
  • 「感想」: 202, 207(意志決定), 211, 225
  • 「パリ」: 275
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「故国の情感」: 283
  • 「現下の時点にあたって思う」: 297, 298, 299(意志的努力)
  • 「三十年という歳月」: 315(意志的に解決), 319(自己の意志)

[人名][日本]石母田正

日記

  • 1959/3/22: 2-519

[事項][場所]イスラエルヘブライ語ユダヤ教

集成2

『砂漠に向かって』

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 131(ヨーロッパ人(イスラエル人も含めて))

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 019(イスラエル・アラブ戦争)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 122

日記

  • 1970/12/22: 5-357
  • 1971/1/11: 5-372
  • 1971/1/13: 5-376
  • 1971/4/2: 5-420
  • 1971/12/13: 5-466

[事項][宗教]イスラム教、回教、モスケ

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 220-221(コルドヴァの大モスケ)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 186(『モスケ』)
  • 1967/5/26: 374(アラブ・回教的事実)
  • 1967/6/6: 396(イスラムの世界), 398(ユダヤ主義と回教主義)
  • 1967/6/7: 402(イスラム圏)
  • 1967/6/8: 407(イスラム文化の国々)
  • 1967/6/10: 418
  • 1967/6/14: 430

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 077(回教徒)

日記

  • 1970/12/29: 5-367

[事項][場所][欧州]イタリアアッシージヴェネツィアフィレンツェローマ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 224(北イタリア)
  • 1957/7/7: 315(イタリア中世)
  • 1957/7/18: 324(北イタリア)
  • 1957/8/22: 344(ヴェネツィア
  • 1957/9/9: 350
  • 1957/9/12: 356
  • 1957/9/13: 359-364(ヴェネツィア

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 189(南仏のイタリア国境近く), 190
  • 1963/9/8: 218(北イタリア)
  • 1963/9/17: 238-239, 243(イタリー国境に沿う渓谷)
  • 1967/8/30: 456(旧イタリー領)
  • 1967/8/31: 482(ピザ)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 014, 022(イタリア語), 036
  • 「ルオーについて」: 188(イタリアの絵), 192
  • 「滞日雑感」: 230
ノートルダム寺院を主題にする」
  • 「黄昏のノートルダム」: 273, 275, 277-278(イタリア中世美術展), 281-283, 286, 288

集成4

『旅の空の下で』
  • 「文化の根というものについて」: 158(イタリー), 180(ミラノ、フィレンツェ
  • 「初秋のパリから」: 229

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 307

日記

  • 1969/3/23: 4-556

[語彙]一人称→三人称二人称

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/10/11: 151

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 308

日記

  • 1970/5/9: 5-339-340
  • 1970/11/29: 5-349
  • 1971/1/12: 5-373
  • 1971/1/28: 5-391
  • 1971/4/15: 5-443
  • 1973/3/6: 5-498

[人名][日本]市原豊太

日記

  • 1959/3/25: 2-527
  • 1959/3/28: 2-530

[語彙][哲学]イデア

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 015

[人名][文学][日本]伊藤整

日記

  • 1967/12/15: 3-447

[語彙]犬

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/17: 042
  • 1953/12/27: 095(牧童と犬)
  • 1954/2/16: 119(犬や猫)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「パリの生活の一断面」: 149(「いぬ」という語)

集成4

その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 270

[人名][文学][日本]井原西鶴

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/4/6: 352

[語彙]妹(関屋綾子)→家族

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/4/29: 271
  • 1957/6/3: 284

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/23: 103
『砂漠に向かって』
  • 1963/9/7: 212
  • 1967/11/4: 491

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 185

日記

  • 1961/5/4: 3-311
  • 1965/9/2: 3-421

[事項][美術]印象派ゴーギャンゴッホセザンヌ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/14: 032(印象派風のタッチ)
  • 1953/12/27: 104
『流れのほとりにて』
  • 1957/7/7: 315
  • 1958/4/30: 465

集成3

『遥かなノートルダム
  • 「ルオーについて」: 188-189

[場所]インド、印度

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 011
『砂漠に向かって』
  • 1966/1/10: 267(インドとパキスタンの国交恢復)
  • 1966/9/14: 298(インド人)
  • 1967/3/26: 335(インド人)
  • 1967/3/31: 349(印度)
  • 1967/4/6: 352(メール氏の「印度」), 353(印度問題)
  • 1967/5/14: 369(印度への旅)
  • 1967/6/3: 381(印度のカラー・フィルム(幻燈)上映), 382(印度の建築), 383(あの神聖な印度)
  • 1967/6/4: 388(印度の古代の石工)
  • 1967/6/9: 411(印度と日本への旅)
  • 1967/6/10: 418
  • 1967/6/14: 429(印度旅行)
  • 1967/8/21: 448(カルカッタ), 449(インドの自然), 450
  • 1967/8/30: 454-455, 462-476(ニューデリー
  • 1967/8/31: 483(インドの空)

集成3

『遥かなノートル・ダム』

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 055, 065-067
  • 「旅の空の下で」: 069, 076, 083, 084-086, 103
  • 「一九六八年の夏の反省」: 109
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 122, 137
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 200(インドの古代美術展)
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 263

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 077
  • 「大陸の影の下で」: 155, 170

日記

  • 1957/1/27: 1-531
  • 1965/3/18: 3-400
  • 1967/12/22: 3-463
  • 1967/12/24: 3-472
  • 1967/12/28: 3-488-489
  • 1967/12/29: 3-494
  • 1967/12/30: 3-500
  • 1968/1/1: 3-512
  • 1968/1/2: 3-518
  • 1968/2/18: 4-511
  • 1968/2/22: 4-514
  • 1968/10/22: 4-531
  • 1970/12/24: 5-357-358(ニューデリー
  • 1970/12/26: 5-359(ニューデリー
  • 1970/12/29: 5-362-370(ボンベイ、カジュラーホ)
  • 1971/1/11: 5-370-372
  • 1971/1/14: 5-377-378(カジュラーホ)
  • 1971/1/15: 5-379
  • 1971/1/16: 5-384
  • 1971/3/5: 5-401
  • 1971/4/3: 5-422
  • 1971/4/20: 5-451
  • 1971/12/13: 5-466(インド・パキスタン戦争)

[場所]インドシナベトナム

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 036(仏印戦争)

集成4

『旅の空の下で』

日記

  • 1968/1/1: 3-512

[人名][音楽]ヴァルハ(ヘルムート・ヴァルヒャ)→Walcha, Helmut

[事項][美術]ヴィトロー、ステンドグラス、玻璃窓、焼絵硝子

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/21: 244
  • 1957/4/22: 254
  • 1957/4/26: 263-264, 267
  • 1957/4/27: 269
  • 1957/4/28: 270
  • 1957/6/1: 278
  • 1957/6/12: 294
  • 1957/7/20: 329
  • 1957/9/22: 378
  • 1957/9/23: 386(サン・セヴェラン), 387(サント・シャペル)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/8/3: 020, 021
  • 1958/11/4: 035
  • 1958/12/14: 063
  • 1958/12/27: 077(サン・セヴェラン)
  • 1958/12/31: 081
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 172, 180
  • 1963/9/13: 230(シャロン・スュル・マルヌのカテドラル)
  • 1965/8/1: 246-247
  • 1967/3/26: 334(焼絵ガラス)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 042-043
  • 「遥かなノートル・ダム」: 078
  • 「ある夏の日の感想」: 126
  • 「ルオーについて」: 203(シャルトル)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 034, 051(玻璃窓)
  • 「初秋のパリから」: 222
  • 「シャルトルと法隆寺」: 249(焼絵硝子), 252
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 272(焼絵硝子), 275(大窓玻璃窓), 276(ヴィトロー), 277-278(焼絵硝子), 280-282

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 014(ステンド・グラス)
  • 「木々は光を浴びて、……」: 069
  • 「暗く広い流れ」: 080(ル・マンのカテドラル)

日記

  • 1954/5/18: 1-479, 482
  • 1957/1/12: 1-518
  • 1968/1/15: 4-489
  • 1970/5/1: 5-335-336
  • 1971/4/11: 5-430(ラ・スルス街のベネディクト会シャペル)
  • 1976/6/6: 5-527

[場所][欧州]ヴェネツィアベニス)→イタリア

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/9/13: 359

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/9/13: 234(サン・マルコ)

[人名][宗教][日本]植村正久

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/4/22: 365(半世紀も前の植村先生の面影)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 063

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「木々は光を浴びて、……」: 052

日記

  • 1967/12/31: 3-510

[事項][美術][日本]浮世絵安藤広重喜多川歌麿

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/4/22: 252, 256

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 070

日記

  • 1971/3/5: 5-401

[人名][日本]内田善彦

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/9/7: 291

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 100

[人名][宗教][日本]内村鑑三

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1957/7/7: 317

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/8/21: 453

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 063, 068

日記

  • 1965/10/16: 3-426
  • 1970/7/22: 5-344

[語彙]美しさ→

[語彙][哲学]促し、内からの促し

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1957/4/16: 212

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 009, 010
  • 1958/12/10: 056
  • 1958/12/25: 073
『砂漠に向かって』
  • 1963/9/7: 214(内面の促し)
  • 1966/9/5: 288(一つの内面的促し)
  • 1967/4/22: 363(内的促し)
  • 1967/4/23: 365(内面の促し)
  • 1967/6/3: 381(内面の促し)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 017-018, 020(内的促し)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 051, 053-054
  • 「遥かなノートル・ダム」: 080(深い内面の促し), 082, 086, 089-090
  • 「ある夏の日の感想」: 122(「促し」), 123-124
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 039
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 265(自分の感覚のしんから出る促し), 266(「内的促し」), 270(「内的促し」), 273-274(「内的促し」), 277

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 178

[語彙][場所]

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 017(地中海), 019(シオタやバンドールの海!), 020-021
  • 1953/10/13: 024(マントン), 026, 030
  • 1953/10/14: 030, 032
  • 1953/10/15: 033, 034(地中海), 027(ジェノア湾)
  • 1953/10/24: 066(アドリア海), 074
  • 1953/10/31: 077(マントンの海), 080(ティレニア海
  • 1953/12/25: 082-083(大磯), 084
  • 1953/12/26: 088-089(英仏海峡
  • 1953/12/27: 103(ダルマチアの海岸)
  • 1954/1/5: 106(青黒く冷たい海)
  • 1954/2/16: 116(レマン湖), 122(ジブラルタル海峡
  • 1954/3/3: 124(海)
  • 1956/3/24: 133(もやに煙るおだやかな地中海), 136(太平洋)
  • 1956/4/9: 156(地中海)
  • 1956/4/12: 160(日本海に面する東北の荒涼とした海岸), 162
  • 1956/5/10: 169(大海原)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 213(バルト海), 228(バルト海の魚)
  • 1957/4/19: 235
  • 1957/4/20: 240-242(バルト海
  • 1957/9/9: 351(青い空と海)
  • 1957/9/13: 364(アドリア海), 365(暗い海)
  • 1957/9/14: 366(アドリア海), 367(青い海), 368(紅海)
  • 1957/9/15: 372(ピレウスの港)
  • 1957/9/22: 380(エーゲ海), 381(青い海)
  • 1957/9/23: 388(スウニオンから見た地中海、よりくわしくはエーゲ海), 389(ギリシアでは、海は特別の力をもっている)
  • 1957/9/30: 390(ペロポネソス半島の西南の岸、イオニア海に面するキパリシアから、コーラ、更にネストルの宮殿の廃址のあるピロスからカラマイにかけて荒涼たる海)
  • 1957/12/25: 401(バルト海), 402(ヨーロッパ文明の母胎である地中海)
  • 1958/3/13: 441(太平洋)
  • 1958/4/27: 459(太平洋)
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 169(光の充ちた海辺), 176-177, 186-187(ジブラルタル海峡), 188(地中海の青い海), 190(地中海)
  • 1963/4/13: 204(雑木林の大海)
  • 1963/9/7: 211(地中海), 215
  • 1965/12/4: 251(地中海)
  • 1966/1/10: 266(大海)
  • 1966/9/5: 287(地中海)
  • 1967/6/3: 381(光・石・水・樹・海・山)
  • 1967/6/8: 405(大洋)
  • 1967/6/10: 418(巨大なユダヤイスラムキリスト教的な地中海的伝統)
  • 1967/6/12: 425(カスピ海黒海の間)
  • 1967/8/21: 449(ニース), 450(印度洋), 451(大洋), 454(インド洋)
  • 1967/8/30: 456-460(地中海), 461
  • 1967/8/31: 478, 482(バルト海
  • 1967/11/3: 487(印度洋), 488(暗黒の北太平洋
  • 1967/11/4: 492(山も海も川も林も丘も)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
ノートルダム寺院を主題にする」
  • 「黄昏のノートルダム」: 261(マントン), 268(美しい地中海の光), 276(地中海)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 022(光の海), 056(地中海の光り輝く世界)
  • 「旅の空の下で」: 084
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 131(フリースランドの海), 132
  • 「『ことば』について」: 154
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 194(インド洋、大西洋など)
  • 「シャルトルと法隆寺」: 253(太平洋)
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 277(大洋)

日記

  • 1954/5/18: 1-479, 481(コート・ダジュール), 492
  • 1964/6/13: 3-339-340
  • 1964/6/21: 3-340(ベーリング海
  • 1967/12/23: 3-461-463(ブルターニュ
  • 1967/12/22: 3-465(ロキレク湾)
  • 1967/12/24: 3-467-468
  • 1967/12/25: 3-474-477, 478(相模湾
  • 1967/12/26: 3-481-482
  • 1967/12/27: 3-485, 487-488
  • 1967/12/28: 3-491
  • 1967/12/29: 3-493, 495-496
  • 1967/12/30: 3-498
  • 1967/12/31: 3-505-507, 509, 511
  • 1968/1/1: 3-511-513
  • 1968/1/2: 3-515
  • 1968/10/22: 4-532(太平洋)
  • 1970/7/22: 5-344(オホーツク海
  • 1970/12/29: 5-364(平野や大海や空)
  • 1972/3/1: 5-484
  • 1976/8/6: 5-529(ベーリング海

[事項][語彙]運命宿命

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 007(悲劇的な運命)
  • 1953/10/9: 021
  • 1953/10/13: 027, 028, 029(運命の寂寞)
  • 1953/10/14: 033
  • 1953/10/18: 046(孤独の道を歩く運命)
  • 1954/2/16: 117
  • 1956/5/10: 169(運命論)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/16: 211
  • 1957/4/18: 225
  • 1957/4/21: 249(運命的に襲ってくる問題)
  • 1957/4/28: 270
  • 1957/6/16: 303
  • 1957/7/5: 310
  • 1957/7/7: 317
  • 1957/8/19: 341, 343
  • 1957/8/22: 345(ギリシア悲劇の運命)
  • 1957/9/15: 371
  • 1957/9/22: 384, 385
  • 1957/9/23: 388
  • 1957/9/30: 390
  • 1958/2/17: 429
  • 1958/3/6: 437(運命の狡智)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/4: 032, 033
  • 1958/11/19: 048, 052
  • 1959/1/5: 089, 091, 092
  • 1959/8/19: 096
  • 1959/8/21: 102
  • 1959/10/11: 151
『砂漠に向かって』
  • 1967/5/28: 377
  • 1967/6/6: 394(運命的)
  • 1967/6/27: 446(私達の運命の真の素顔)
  • 1967/8/31: 484
  • 1967/11/14: 498(運命を甘受することから運命を支配することへ), 500(運命化)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 050(運命論的), 067, 076
  • 「遥かなノートルダム」: 100(国運), 101(日本全体の運命), 103(運命論)
  • 「ルオーについて」: 184, 204(人生と世界の運命)
  • 「滞日雑感」: 235(日本の運命)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 072, 090
  • 「一九六八年の夏の反省」: 105(運命的な課題), 117(日本の運命)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 121(「運命」)
  • 「初秋のパリから」: 213, 214
  • 「偶感」: 236
  • 「シャルトルと法隆寺」: 246, 247
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 273(運命的)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 183(運命観)
  • 「感想」: 210, 219, 223(フランスの運命), 224

日記

  • 1970/12/29: 5-369

[語彙]映像、イマージュ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/22: 065(過去の映像)
  • 1956/3/24: 126(豊かな映像), 127, 136(その生れた列島について私がもつ心の映像)
  • 1956/3/26: 137(東洋的な映像)
  • 1956/4/1: 151(過去の様々の映像)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/19: 235(本質的な映像の連合)
  • 1957/4/26: 261
  • 1957/7/20: 328
  • 1957/8/19: 343(映写の働き)
  • 1957/12/29: 402(一度結晶したかにみえた自己の映像)
  • 1958/4/22: 453(美しい映像)
  • 1958/4/27: 457(パリの断片的映像)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/9/17: 239(過去に蓄えた数々の映像), 241
  • 1966/1/26: 276(感覚的なイマージュ)
  • 1967/6/11: 420(聖書の映像)
  • 1967/8/31: 481(日本の過去の映像)

集成4

『旅の空の下で』
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 201(感覚的映像)

[語彙][哲学]エヴォリュシオン→発展

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/1/1: 085

[語彙]エヴォカシオン(換び起し)

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1958/3/6: 439

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 181
  • 1967/8/30: 460(過去のエヴォカシオン)
  • 1967/8/31: 478

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

[語彙]エキリーブル(équilibre)、均衡、均整、均斉→調和平衡

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/17: 037
  • 1953/10/18: 044
  • 1953/10/19: 051(均衡)
  • 1953/10/20: 057(フィレンツェ人のエキリーブルに対する感受性)
  • 1953/10/24: 067(エキリーブルとプロポルシオン)
  • 1956/3/26: 139(均衡感覚)
  • 1956/9/3: 204(均整のとれた美しさ)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 217, 219(均衡), 222(形の近世のとれた美しさ), 223(不均整), 226
  • 1957/4/19: 235(均整)
  • 1957/4/26: 261(エキリーブルとプロポルシオン)
  • 1957/7/20: 331(均衡)
  • 1957/9/13: 360(感覚のエキリーブル), 362
  • 1958/4/15: 448

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/10/4: 146
『砂漠に向かって』
  • 1956/7/15: 200(均衡と堅固さ)
  • 1963/4/13: 208
  • 1963/9/8: 218
  • 1963/9/10: 226(内心の静謐と均斉)
  • 1963/9/13: 235(堅固で均斉のとれた美しさ), 236(均斉と安定の深さ)
  • 1965/12/5: 253(均衡)
  • 1966/1/12: 272(人間存在のエキリーブル)
  • 1966/3/28: 278(均斉の取れた美しさ)
  • 1966/9/7: 291(苦悩を孕むエキリーブル)
  • 1966/11/27: 310(思考のエキリーブル)
  • 1967/3/30: 347(均衡)
  • 1967/5/28: 381(均斉)
  • 1967/6/3: 382(正しく均衡を保っている姿勢)
  • 1967/6/6: 394(心の均衡)
  • 1967/6/9: 414-415(相互に均衡のとれた広大な知識)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 015(均整), 025(不均衡)
  • 「遥かなノートルダム」: 108
  • 「ある夏の日の感想」: 123(内面のエキリーブル)
  • 「ルオーについて」: 188(均衡), 191
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 044
  • 「初秋のパリから」: 218, 221, 222

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 024(家計のエキリーブル)
  • 「木々は光を浴びて、……」: 050. 051
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 313(均衡)

[事項][場所]エジプトエジプト人

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/20: 057(エジプト式十時形)
  • 1953/10/22: 062(エジプト式十時形)
  • 1953/10/24: 069(エジプトのピラミッドやシリアの浮彫)
  • 1953/12/27: 103
  • 1956/3/24: 134(ルーブルのエジプトの部)
  • 1956/4/12: 163
『流れのほとりにて』
  • 1957/6/16: 301(エジプトの奴隷)
  • 1957/7/8: 318
  • 1957/7/18: 323
  • 1957/9/15: 375
  • 1957/9/22: 385(エジプト文明
  • 1957/12/25: 401-402
  • 1967/6/8: 404

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/4: 033, 034, 035
  • 1958/12/14: 061(ピラミッド)
  • 1958/12/31: 081(エジプト文字)
『砂漠に向かって』
  • 1963/9/8: 217
  • 1965/8/1: 246
  • 1967/6/4: 388(エジプト人
  • 1967/6/6: 394
  • 1967/6/7: 401(エジプトの動員令), 403, 406-407
  • 1967/6/9: 409(エジプトとシリヤが停戦勧告を受諾), 410(「出エジプト記」)
  • 1967/6/11: 422(ナセル)
  • 1967/6/14: 429(ナセルとそのアラブ主義)
  • 1967/6/16: 431(ナセル)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 126(古代エジプト
  • 「ルオーについて」: 188

集成4

『旅の空の下で』

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 155

日記

  • 1956/11/10: 1-500
  • 1957/1/16: 1-520
  • 1957/2/11: 1-538
  • 1959/6/18: 2-540
  • 1964/6/14: 3-347
  • 1965/4/2: 3-409(ピラミッド)
  • 1967/12/15: 3-448
  • 1967/12/29: 3-494
  • 1968/2/3: 4-500

[場所][パリ]エッフェル塔

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/4/9: 158
  • 1956/8/29: 175

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/8/31: 281

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 201
  • 「初秋のパリから」: 220
  • 「偶感」: 233

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 026

日記

  • 1964/9/3: 3-370
  • 1971/4/20: 5-453
  • 1974/6/3: 5-504

[人名][宗教]エラスムスErasmus

[人名][美術]エル・グレコGreco, El

[語彙]円環

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/12/25: 082(円環的状態), 086(円環的復帰)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/8/31: 482

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 276(円環的空間的継承)

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 318(一つのサイクル)

[人名][宗教][文学][日本]遠藤周作

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 103

[場所][日本]大磯

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/12/25: 082

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートル・ダム」: 094
  • 「ある夏の日の感想」: 125

日記

  • 1954/5/18: 1-491
  • 1957/1/17: 1-522
  • 1967/12/29: 3-496
  • 1968/1/1: 3-512
  • 1971/3/27: 5-411

[人名][日本]大内兵衛

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ルオーについて」: 175

[人名][日本]大岡昇平

集成4

『旅の空の下で』
  • 「偶感」: 232

[人名][哲学][日本]荻生徂徠

日記

  • 1965/10/16: 3-426

[人名][日本]小田実

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/9/6: 289(「平和をつくる」)
  • 1966/9/7: 292
  • 1966/9/8: 295
  • 1967/3/9: 322

日記

  • 1964/7/25: 3-354(小田君)?

[語彙]音→音楽

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 009(乗用車やトラックの音)
  • 1953/10/14: 033(ごうごうと響く波の音)
  • 1953/10/18: 043(下手なピアノ)
  • 1953/10/19: 048
  • 1953/10/22: 064(オルガンの不快、力強い音), 065-066(オルガンの音)
  • 1953/10/24: 074(何一つ物音もしない)
  • 1953/10/31: 075(僕の靴の音)
  • 1953/10/31: 079(物音も聞こえない)
  • 1956/3/26: 139(数箇の音の結合)
  • 1956/3/27: 145(船が音もなく上下し)
  • 1956/5/10: 170(自動車が通る音)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 216(音という素材そのもの)
  • 1957/4/19: 234(オルガンの音)
  • 1957/4/21: 244(繊細なパイプ・オルガンの音), 250-251(ギターの音)
  • 1957/4/25: 258(音における美の世界)
  • 1957/4/28: 270(ものういオルガンの音)
  • 1957/6/1: 278(凝集した音の流れそのもの), 279
  • 1957/6/3: 284(何のもの音もしなかった)
  • 1957/6/27: 306(かすかな音), 307(一つの音がガンム(音階)に限りなく拡がってゆくように)
  • 1957/7/7: 313(トラックの音)
  • 1957/7/29: 337, 338(自動車の音)
  • 1957/9/22: 379(大オルガンの深い音)
  • 1957/12/29: 405(弱い音)
  • 1958/2/17: 429(トラックの音)
  • 1958/2/24: 434(ブルヴァールで間段なく走るカミオン(貨物自動車)の響き)
  • 1958/3/7: 440(音を弱くしたラジオ受信機)
  • 1958/3/13: 441(ベルシー港に入っている汽船の汽笛)
  • 1958/5/6: 407(音の束)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/6/4: 387(音の波), 389(街から来る鈍い音)
  • 1967/6/5: 393(車の通る鈍い音)
  • 1967/6/8: 409(自動車の警笛のけたたましい音)
  • 1967/8/31: 487(無限の倍音
  • 1967/11/4: 491(騒音)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 074(近くの時計台)
  • 「遥かなノートルダム」: 105(谷川のせせらぎ)
  • 「赤いノートル・ダム」: 116(トラックが走っている音)
  • 「ある夏の日の感想」: 132(渓川の音)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 022, 044(雀の声)
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 272(音の感覚), 273, 275(オルガンの音), 278(音色), 279(音そのもの)

[語彙]男→

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 015(中年の男女), 016(アルジェリアの男), 019(猿股一つの男), 022(男性的なアンティミテ)
  • 1953/10/13: 029(男の我儘と軽薄さと虚栄心)
  • 1953/10/14: 032
  • 1953/10/17: 039(若い男女)
  • 1953/10/19: 048(純粋の男性), 049
  • 1953/10/19: 052(完璧な男性), 053-054
  • 1953/10/20: 059
  • 1953/10/22: 063(太った重役のような男がいる、うすぎたないやせた男がいる)
  • 1953/10/24: 069(美しい人)
  • 1953/10/31: 075(戦後によく見かけたアロハのあんちゃんのような男), 077(男の殉教者)
  • 1953/12/27: 096(白い胸を広く出したタクシードの男たち)
  • 1956/3/31: 148(すべての男)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 222(男性的)
  • 1958/3/6: 438(男性的)
  • 1957/4/19: 232
  • 1957/4/21: 251(たくさんの男女)
  • 1957/7/7: 314(男と闘う女)
  • 1957/7/8: 318-320(若い男女のトルソ)
  • 1957/7/20: 331(男女の神々)
  • 1957/8/19: 342(モーリアックの男らしい判断)
  • 1957/9/15: 374(男の立像)
  • 1957/9/23: 388(男性的な容貌)
  • 1958/3/6: 438(限りなく悲しいものであり、男性的なもの)
  • 1958/4/25: 454(二人連れで散歩する若い男女)
  • 1958/4/27: 456-457, 460(雨外套を着た男女)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 163(外套の代わりにアンペルメアーブル(レインコート)を着た男女), 164, 183(中年の男女), 184(若い男女), 185, 187
  • 1963/9/13: 237(清掃の貴顕紳士、淑女らしき人々)
  • 1963/9/17: 243(たった一人で釣をしている男の姿)
  • 1965/12/4: 248(二、三人の若い男)
  • 1966/1/12: 271(荒れ狂う自然に直接触れていた男の顔)
  • 1966/11/27: 309(隠者や修道女たちの肖像)
  • 1967/6/21: 442(日本の青年男女)
  • 1967/8/30: 469(カジュラホーの男女の肢体の模写), 472(一組の男女)
  • 1967/11/3: 486(若い男女), 487(パリの男女)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「滞日雑感」: 226(カフェーのボーイ)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 054(男女同権)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 106(男女の関係交渉のヨーロッパ・アメリカ的方式), 108(老若男女)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 124
  • 「初秋のパリから」: 211(一組の恋人らしいの), 216, 227(男女の愛)

日記

  • 1968/2/18: 4-510
  • 1968/4/10: 4-530
  • 1968/10/30: 4-534
  • 1970/12/22: 5-355-357
  • 1970/12/29: 5-368
  • 1971/1/14: 5-378
  • 1973/3/4: 5-498

[語彙]親、親子→家族

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/3/29: 343
  • 1967/6/28: 447(L嬢の家で両親と共に晩餐)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ルオーについて」: 184(ルオーの両親)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 029(親分、子分の師弟関係), 040, 054(生みの親), 060(親分子分)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 106

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 163, 165
  • 「感想」: 203
  • 「パリ」: 272, 273

日記

  • 1967/12/17: 450

[場所][欧州]オランダアムステルダム

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/13: 024, 028(アムステルダムゴッホ展覧会)
  • 1953/10/18: 045
  • 1953/12/27: 099(オランダの巨匠), 100
  • 1954/2/16: 117
  • 1956/3/27: 144-145
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 226
  • 1957/4/19: 231(シャプラン街にある古いオルガン), 235(オランダ風の赤煉瓦の建物), 236(オランダのズヴォッレの町で「キリストの模倣」を書いたゲ-ラルト・グローテ」
  • 1957/4/20: 237(オランダの地方都市であるズヴォッレ), 238
  • 1957/4/21: 250(十七世紀のオランダ風)
  • 1957/4/22: 252
  • 1957/7/7: 315
  • 1957/7/18: 323
  • 1958/4/30: 463

集成4

『旅の空の下で』

日記

  • 1954/5/18: 1-481
  • 1967/12/5: 3-442
  • 1967/12/23: 3-461
  • 1967/12/31: 3-508
  • 1969/1/4: 4-544(アムステルダム
  • 1969/1/13: 4-548

[事項][音楽]オルガンパイプ・オルガンオルガニスト音楽バッハ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/22: 064-066
  • 1953/12/27: 105
  • 1956/3/26: 139
  • 1956/4/1: 149
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 214
  • 1957/4/19: 231, 234
  • 1957/4/21: 244
  • 1957/4/22: 252
  • 1957/4/25: 257. 258-259
  • 1957/4/28: 270(シャロン・スュル・マルヌ)
  • 1957/6/10: 288
  • 1957/9/22: 378-379(ノートル・ダム)
  • 1958/5/6: 470

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/19: 049
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 161, 175
  • 1967/3/19: 334

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 044
  • 「遥かなノートルダム」: 078(オルガンの響きと祈り)
  • 「ある夏の日の感想」: 125-127
  • 「ルオーについて」: 175-176, 182(オルガニストアンドレ・マルシャル)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 211, 217, 218
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 102
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 132-133
  • 「文化の根というものについて」: 162
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 260, 272(ヘルムート・ヴァルハのオルガン・リサイタル), 275, 278

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 014-019, 026, 034
  • 「木々は光を浴びて、……」: 065, 072
  • 「暗く広い流れ」: 079, 083, 088, 103
  • 「わが思索わが風土」: 194

日記

  • 1957/1/12: 1-518
  • 1959/3/28: 2-530
  • 1960/9/19: 2-552
  • 1964/9/16: 3-376
  • 1965/10/10: 3-424
  • 1967/11/23: 3-433
  • 1967/11/30: 3-435
  • 1967/12/5: 3-442
  • 1967/12/6: 3-443(オルガンの第一回目の練習)
  • 1967/12/14: 3-445
  • 1967/12/19: 3-456
  • 1967/12/27: 3-485-486
  • 1967/12/30: 3-500
  • 1967/12/31: 3-507
  • 1968/1/11: 4-487
  • 1968/1/17: 4-490
  • 1968/2/10: 4-503
  • 1968/4/10: 4-529
  • 1968/10/22: 4-532
  • 1968/11/18: 4-539-541
  • 1969/1/10: 4-546
  • 1969/1/13: 4-548-549
  • 1969/2/26: 4-555-556
  • 1969/3/26: 4-560
  • 1969/3/29: 4-562
  • 1970/2/25: 5-325, 5-329
  • 1970/4/12: 5-330
  • 1970/5/1: 5-332-334
  • 1970/7/16: 5-343(青山学院)
  • 1970/7/22: 5-344
  • 1970/7/23: 5-344-345(札幌、ルター教会)
  • 1970/11/28: 5-347-348
  • 1970/11/29: 5-351
  • 1970/11/30: 5-352
  • 1970/12/22: 5-356
  • 1971/1/11: 5-370
  • 1971/1/12: 5-372
  • 1971/1/13: 5-376
  • 1971/1/14: 5-377
  • 1971/1/16: 5-383
  • 1971/1/20: 5-384
  • 1971/1/26: 5-387
  • 1971/2/25: 5-393
  • 1971/3/3: 5-398-399
  • 1971/3/5: 5-400
  • 1971/3/18: 5-402
  • 1971/3/22: 5-407
  • 1971/3/27: 5-409
  • 1971/3/29: 5-412
  • 1971/3/31: 5-414
  • 1971/4/2: 5-416-417
  • 1971/4/3: 5-422-424
  • 1971/4/9: 5-424, 426-427
  • 1971/4/11: 5-430-432
  • 1971/4/12: 5-435-436
  • 1971/4/13: 5-437-439
  • 1971/4/14: 5-440
  • 1971/4/18: 5-450
  • 1971/4/20: 5-450, 452, 454
  • 1971/4/25: 5-454, 456-458
  • 1971/4/30: 5-459-461
  • 1971/5/14: 5-461-463
  • 1971/12/12: 5-464
  • 1971/12/17: 5-473
  • 1971/12/18: 5-476
  • 1971/12/19: 5-478
  • 1972/2/8: 5-480
  • 1972/6/4: 5-486-488
  • 1972/6/6: 5-488
  • 1973/3/2: 5-495
  • 1973/3/4: 5-497
  • 1975/7/24: 5-505
  • 1975/7/31: 5-506
  • 1975/8/3: 5-507-508
  • 1975/8/11: 5-509-510
  • 1975/8/14: 5-510-511
  • 1976/4/19: 5-517-518
  • 1976/5/20: 5-519-520
  • 1976/6/5: 5-521-523
  • 1976/6/6: 5-524-525, 527

[語彙]愚か

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ルオーについて」: 205(「愚か」になる)

[語彙][音楽]音楽オルガンバッハ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 011, 013, 014, 017(ダンスと女とリズミカルな音楽), 021(グレゴリアン聖歌), 023
  • 1953/10/20: 062(沈黙の音楽)
  • 1953/10/22: 064-066
  • 1953/10/24: 069, 072
  • 1953/12/27: 096(グリンカの「マドリッドの夏の夜の夢」)
  • 1954/1/5: 108(芝居や音楽)
  • 1954/2/16: 114(鋭い不協和音), 119
  • 1956/3/30: 146(三年前、ロンドンのウェストミンスターで、ノエルの朝聴いた賛美歌)
  • 1956/4/1: 149(賛美歌)
  • 1956/4/6: 154(ダンス・ミュージック)
  • 1956/4/9: 159(歌)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 213(バッハの音楽), 214-216, 223
  • 1957/4/19: 228(音楽家
  • 1957/4/22: 252, 253(色と線とのかもし出す交響楽)
  • 1957/4/25: 259(美しい音楽)
  • 1957/4/26: 267
  • 1957/6/1: 277, 278, 279
  • 1957/6/10: 288
  • 1957/6/12: 294
  • 1957/6/27: 305(異様な対位法), 306(アルベニースのタンゴ)
  • 1957/7/25: 336
  • 1957/7/29: 338
  • 1957/8/19: 344
  • 1957/9/13: 361
  • 1957/9/15: 372, 373(音楽的統一)
  • 1957/9/22: 378(グレゴリアンの音楽)
  • 1957/12/25: 401(宗教音楽)
  • 1958/3/7: 440(アンダルーシアのフラメンコのギター)
  • 1958/4/15: 448(ベルリオーズのレクイエム)
  • 1958/4/27: 457(不協和音の立てこんだ激しく上下する旋律)
  • 1958/4/30: 462, 463

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 011
  • 1958/11/9: 038
  • 1953/10/19: 055(一種の複音楽的大作家)
  • 1958/12/31: 080
  • 1959/8/19: 097
  • 1959/8/25: 106-111
  • 1959/9/3: 117
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 172, 176(音楽会), 177-178, 182
  • 1956年 初夏: 195
  • 1963/9/13: 230(光の無量の交響楽)
  • 1967/3/9: 321
  • 1967/3/19: 334
  • 1967/3/26: 336(中世グレゴリアン)
  • 1967/5/26: 375(言葉に尽くせぬ音楽)
  • 1967/5/28: 379(音楽の実存的分析)
  • 1967/6/5: 393(言葉を超える一つの音楽)
  • 1967/6/9: 413
  • 1967/6/27: 445(混沌が音楽になるあの点)
  • 1967/11/3: 485-488(シャンソンのメロディー)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 042(交響楽), 044, 065, 074(けだるいダンス・ミュージック)
  • 「遥かなノートルダム」: 078(音楽的な調和)
  • 「ある夏の日の感想」: 125(よい音楽), 126-128
  • 「パリの生活の一断面」: 160
  • 「ルオーについて」: 175-176, 179, 181(音楽的美しさ), 196
  • 「思索の源泉としての音楽」: 209-219
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 027(賛歌), 044(不思議な音階のニュアンス)
  • 「旅の空の下で」: 093(シャンソン), 099(音楽の勉強), 102-103
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 132-135
  • 「文化の根というものについて」: 162, 169
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 195(旋律), 196(不協和音)
  • 「初秋のパリから」: 216
  • 「偶感」: 240
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 260, 275(音楽会), 276(本当の音楽), 277-280

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 014-019, 034
  • 「木々は光を浴びて、……」: 071
  • 「暗く広い流れ」: 080-084, 087, 105
  • 「わが思索わが風土」: 194, 197
  • 「パリ」: 253, 273

日記

  • 1967/12/25: 3-473
  • 1967/12/27: 3-486
  • 1967/12/31: 3-507-508
  • 1968/2/10: 4-504
  • 1968/4/10: 4-528
  • 1969/1/13: 4-548
  • 1969/2/26: 4-555
  • 1969/4/26: 4-567
  • 1969/5/15: 4-570-572
  • 1971/2/25: 5-395

[語彙]女→男、男と女、男女祖母

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 011(美しい女), 013(可愛らしい女の子), 015(中年の男女), 017(ダンスと女とリズミカルな音楽), 018, 019(ビキニの女)
  • 1953/10/13: 029(棄てられた女の心の崩壊)
  • 1953/10/14: 031(ファム・ド・メナージュ(女中))
  • 1953/10/15: 037
  • 1953/10/17: 039(若い男女), 040(女の像)
  • 1953/10/18: 046(女性から天使に、天使から神にまで)
  • 1953/10/19: 048(純粋の女性), 049, 052(女性化された美しさ), 053-054(女の肉体), 055
  • 1953/10/20: 061(美しい女)
  • 1953/10/22: 063(若い美しい娘がいる、老婆がいる)
  • 1953/10/24: 069(美しい人)
  • 1953/10/31: 076(聖処女), 079(老婆)
  • 1953/12/25: 082-083(少女)
  • 1953/12/27: 095(パシオンをむき出しにした女), 096(足まで垂れる純白の夜会服の美しい女たち)
  • 1954/2/16: 115(恋人), 118, 122(堅く冷たい女の膚)
  • 1956/3/31: 148(すべての女)
  • 1956/8/30: 186(黒い衣服に頭巾をかぶった年とった女が三人)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 222(深く女性的)
  • 1957/4/19: 232(永遠の女性に似たもの)
  • 1957/4/21: 251(たくさんの男女)
  • 1957/4/22: 252-253(歌麿の女)
  • 1957/7/5: 309(女の静かな群像のフリーズ), 310(アテナ女神)
  • 1957/7/7: 313, 314(男と闘う女)
  • 1957/7/8: 318(若い男女のトルソ), 319(女の肉体、いな女そのもの), 320
  • 1957/7/20: 327(女の子)、331(男女の神々), 332(処女たち), 224(M嬢)
  • 1957/8/13: 339(バシュラール嬢)
  • 1957/9/14: 369(女らしい孤独)
  • 1957/9/15: 372(女神像), 373(普遍の女性の真摯な秩序), 374
  • 1958/1/1: 407(街娼)
  • 1958/4/22: 450(娘と隣の女の子)
  • 1958/4/25: 454(二人連れで散歩する若い男女)
  • 1958/4/27: 456(夜の女たち), 460(看護婦)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/21: 098-102(ロルカ「姦淫の女」)
  • 1959/8/25: 106
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 163(外套の代わりにアンペルメアーブル(レインコート)を着た男女), 164(大女で無表情な娘), 169(女の顔), 181(娘さん), 183(中年の男女), 184(若い男女), 185-186(女性カルテジアン), 187, 189(給仕の女)
  • 1963/9/7: 212(長く交際していた女性)
  • 1963/9/13: 237(愛と結婚との矛盾と、それを繞る女性の二つのタイプ)
  • 1965/12/4: 249(女の人)
  • 1966/8/31: 281(家に働きに来ていた年とった家政婦)
  • 1966/11/27: 309(隠者や修道女たちの肖像)
  • 1966/12/1: 316(二人の女子学生)
  • 1967/3/11: 326(三、四人の娘たち)
  • 1967/3/27: 338(修道女)
  • 1967/4/19: 361(フランス女性)
  • 1967/4/23: 364(かの女)
  • 1967/5/15: 370(「思想」というものに関心を抱いている娘さん)
  • 1967/5/28: 378(古代の一人の巫女)
  • 1967/6/5: 392(風変わりな女性)
  • 1967/6/11: 423-424(成熟した女の匂い)
  • 1967/6/18: 437(何人かの女達), 438(女達), 440(乙女)
  • 1967/6/21: 440(日本女性), 442(日本の青年男女)
  • 1967/6/27: 444(若い女の二つのみひらかれた目), 445(処女性)
  • 1967/6/28: 447
  • 1967/8/30: 458(マティスの女), 467(表に出ている女の人), 469(カジュラホーの男女の肢体の模写), 470, 472(一組の男女), 474(女性の友人)
  • 1967/8/31: 478
  • 1967/11/3: 485(凛々しいなりをしたホステス達), 486(若いホステス), 487(パリの男女)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 014(ある女体の彫像), 019(女中さん)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 070(女子供の考え)
  • 「赤いノートルダム」: 112(女の話), 114(海水着姿の、よい体格をした、美しい若い女), 115-116
  • 「ある夏の日の感想」: 130(マーシャという女性の生涯), 131
  • 「ルオーについて」: 191, 198(アイスクリームを売るおばさん), 200-203(家政婦のおばさん)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 209-210
  • 「滞日雑感」: 226(女中さん)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 036(わる若いインテリの女性), 041(ある女性の友), 066
  • 「旅の空の下で」: 073-075(パリのリセの哲学教授であるというH嬢), 079
  • 「一九六八年の夏の反省」: 106(男女の関係交渉のヨーロッパ・アメリカ的方式), 107(娘さんたち)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 120(本源的な女性そのもの), 123, 128, 131, 134(グラースの裸形の女のような旋律), 136(不思議な少女)
  • 「初秋のパリから」: 209(南仏出身の一女性), 215(女のトルソ), 216, 227(男女の愛)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 249, 275
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 317(かの地の女)

日記

  • 1960/9/12: 2-547
  • 1967/12/26: 3-481
  • 1967/12/29: 3-495-496
  • 1968/1/1: 3-512-513
  • 1968/2/18: 4-510
  • 1968/3/3: 4-522-523
  • 1968/3/12: 4-525
  • 1968/4/10: 4-530
  • 1968/10/30: 4-534
  • 1970/7/16: 5-342-343
  • 1970/12/22: 5-355-357
  • 1970/12/29: 5-368-369
  • 1971/1/14: 5-378
  • 1971/1/20: 5-385
  • 1971/3/27: 5-410-411
  • 1971/4/20: 5-453
  • 1972/2/8: 5-482-483
  • 1973/3/4: 5-498

[語彙][哲学]回帰還る

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/1/10: 267(一人一人の人ごとに繰り返される永遠の回帰)
  • 1967/3/30: 346(ジャン・マリ・ドムナックの「悲劇への回帰」)
  • 1967/3/31: 349(ジャン・マリ・ドムナックの「悲劇への回帰」)
  • 1967/6/9: 416(回帰!)
  • 1967/6/18: 436

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「初秋のパリから」: 221(過去に内面的に回帰する)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 196

[事項][宗教]回教イスラム教

[語彙]邂逅、出会い

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/19: 047(復活したキリストとマグダラのマリアとの園の中の邂逅)
  • 1956/5/9: 164, 167(モノ氏との邂逅)
  • 1956/9/2: 194(出会い)
『流れのほとりにて』
  • 1957/9/23: 389(自然の質と人間の質とが邂逅したもっとも幸せな例)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/9/13: 231(ティチアンの「エマオの邂逅」)
  • 1966/11/27: 307(邂逅、別離、孤独、死), 311(パスカルデカルトに本当に出会い始めている)
  • 1967/5/28: 378-379
  • 1967/6/18: 436
  • 1967/8/30: 474(ものとの邂逅)
  • 1967/8/31: 481(原初的出会い)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「パリの生活の一断面」: 165(出会う新しい事態)
  • 「ルオーについて」: 171(偶然の出会い)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 132, 137-138
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 264(パリとの出会い)

[語彙]解釈説明

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/19: 049
  • 1954/2/16: 122(解釈も説明もなく)
  • 1956/8/30: 187(心理的解釈)
  • 1956/9/3: 201
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 215, 216(純粋器楽曲全体の解釈)
  • 1957/6/16: 300(文学的解釈)
  • 1958/5/5: 468

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 014
  • 1958/11/19: 049(心理学的な解釈)
  • 1958/12/31: 082
  • 1959/8/19: 097
  • 1959/10/2: 137, 139
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 169(意味の解釈), 181
  • 1966/11/27: 311
  • 1967/5/28: 380
  • 1967/6/6: 393

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 101(希望的解釈)
  • 「パリの生活の一断面」: 164
  • 「ルオーについて」: 204
ノートルダム寺院を主題にする」

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 146, 148, 153, 158

[語彙]外人、外国人、異国人→日本人フランス人

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 013
  • 1956/4/12: 162(パリの異国人社会)
『流れのほとりにて』
  • 1957/6/14: 299
  • 1957/9/12: 356(外人である僕)
  • 1957/9/22: 377(外人がヨーロッパ文明を判ること)

集成2

『城門のかたわらにて』
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 162
  • 1966/9/8: 293
  • 1967/3/16: 330(外人講師の地位)
  • 1967/3/26: 335(外国人)
  • 1967/4/6: 352(外国人としての生き方)
  • 1967/5/26: 374(外国人のあの日本語)
  • 1967/6/8: 407(「外つ国人」的性格)
  • 1967/6/9: 416(「外つ国人」)
  • 1967/6/10: 419-420(「外つ国人」性)
  • 1967/6/16: 431(異邦人), 432(外つ国人)
  • 1967/8/30: 467(外人)
  • 1967/8/31: 485(東京に、外国人のように接触する、ということ)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 011
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 049, 067(外人), 070
  • 「パリの生活の一断面」: 136(責任体系を異にする外人の中), 150
  • 「ルオーについて」: 180
  • 「滞日雑感」: 226, 232
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 053, 066
  • 「旅の空の下で」: 070
  • 「一九六八年の夏の反省」: 106(外人)
  • 「『ことば』について」: 141(日本語を学ぶ外人), 142-145
  • 「文化の根というものについて」: 178
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 187
  • 「偶感」: 233(居留外人)
  • 「シャルトルと法隆寺」: 250
  • あとがき: 255

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 193
  • 「感想」: 209
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 317(一外国人としての), 318(一外人として、フランスで生活しうる生活)

日記

  • 1967/12/14: 3-445
  • 1968/3/3: 4-521
  • 1968/12/28: 4-542
  • 1969/9/20: 4-575

[語彙]諧和→調和

[語彙]還る、自分に帰る、還す→回帰

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 018(ある静けさに還ってゆく)
  • 1953/12/25: 086(遠くから自分にかえって来ること)
  • 1953/12/26: 090(遠くから自分にかえって来た僕)
  • 1953/12/27: 098-099, 103(精神の還帰)
  • 1954/1/5: 106(自分にかえってくる道程), 108
  • 1956/4/9: 158(本来の姿に還った対象)
  • 1956/8/29: 178(本来の姿にかえった)
  • 1956/9/3: 201(すべてが静けさの中に還ってゆく)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/26: 262(対象そのものに還った)
  • 1957/6/10: 288(魂の生命に還る), 291(自己に還る)
  • 1957/7/5: 311(自然に還る)
  • 1957/7/7: 315(いつも自分に考えが還って行く)
  • 1957/7/18: 323(普遍に還る), 324(再び自分に還って来る)
  • 1957/8/23: 348(自分へ還る)
  • 1957/9/14: 369(ギリシアに帰ること), 370(人間になる源泉に帰る)
  • 1957/9/22: 383(真の位置に還す), 384(ギリシアから自分に還る)
  • 1957/9/23: 387(自然から出て自然に還る人間の営みの姿), 388
  • 1957/12/22: 399(自己が自己に還る)
  • 1958/2/24: 433(自己へ還る)
  • 1958/3/6: 439(本来の姿に還る)
  • 1958/3/13: 441(すべてが、それぞれの所にかえって)
  • 1958/4/22: 451(元の自分に戻った)
  • 1958/4/25: 455(現実が夢に還ってゆくというこの過程)
  • 1958/4/27: 455(現実が夢に還ってゆくということ)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1956年 初夏: 197(人間は自然から出て自然に還る)
  • 1956/7/15: 199(自然に還り), 202(不断に源泉に立ち還らなければならない必要)
  • 1963/9/7: 212(自分の前に還って来た)
  • 1963/9/8: 221(自然に還ること)
  • 1963/9/10: 224(探すために辿る道が、いつも自分に還って来るからだ)
  • 1966/9/18: 301(外界が外界に還った今)
  • 1966/11/27: 307(ものと人とは、本当にものと人とに還らなければならない), 310(パスカルがかれ自身に還る、ということ)
  • 1967/3/11: 327(私が現にあるものに、断乎として帰ること)
  • 1967/3/31: 350(あの恐怖の猿が、またも私に還ってくる)
  • 1967/4/11: 358
  • 1967/6/9: 416(放蕩息子の帰還)
  • 1967/8/30: 471(二重の距離感となって還って来た)
  • 1967/8/31: 476(帰還), 480(所謂日本的還帰), 484(ものが徹底的にものに還って行く)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 079(対象が対象そのものに還る), 082(日本とフランスとが日本とフランスそのものに還るということ), 090(日本そのものの源泉に還ろうとしたこと), 094-095(対象がそれ自体に還る時)
  • 「ある夏の日の感想」: 121(自然に還れ), 125(自然に還る), 127, 134(自然と歴史の根源に還る)
  • 「ルオーについて」: 192
ノートルダム寺院を主題にする」
  • 「黄昏のノートルダム」: 265(自然に還ってしまった遺跡), 267-268(自然に還る), 287(限りない分散から再び統一へと還る)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 024(ものがものに還る), 035(純粋なものに還る), 056(ものがものに還る), 058(対象に還ったものの対象性)
  • 「旅の空の下で」: 089(古い伝統に還る), 102(自分に還る)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 205, 206

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 157
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 301

[人名][宗教][日本]垣花秀武

日記

  • 1967/1/6: 3-430

[語彙]核→原子爆弾

[語彙]「書く」、書くこと

集成1

『流れのほとりにて』
  • 1957/8/19: 343(それでも僕は書き続けなければならない)
  • 1958/5/5: 467

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/17: 093-094
  • 1959/9/3: 116

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/3/16: 331(著述家として自己を定着する決定)
  • 1967/5/14: 368(ものを書く人間)
  • 1967/5/26: 374(日本語で正確に書くことが出来ること)
  • 1967/8/30: 474(自分がものを書く、ということ)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「思索の源泉としての音楽」: 213

集成4

『旅の空の下で』

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 319(私の「書く働き」)

日記

  • 1968/1/28: 4-498
  • 1973/3/6: 5-498
  • 1973/3/28: 5-501

[語彙]学者哲学者学問

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/22: 065(純良で手がたい学者的な風格)
  • 1956/5/9: 164(偉大な学者), 165(美学者), 166(物理学者), 168(デカルト研究者)
  • 1956/8/30: 183(科学者)
  • 1956/9/2: 197
  • 1956/9/3: 201(ドイツの文学者)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/26: 264(文学者)
  • 1957/12/29: 404
  • 1958/3/14: 445
  • 1956/5/9: 164, 165
  • 1958/4/30: 463(スコットランド人の数学者)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/24: 068(誠実な学者)
  • 1959/8/19: 097
『砂漠に向かって』
  • 1966/8/31: 280(フランスの学者の仕事)
  • 1966/9/7: 292(学者)
  • 1967/4/23: 367(当地のさる日本学者)
  • 1967/5/28: 380(大神学者
  • 1967/6/9: 415(聖書学者)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 019(学者は学者なりに)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 056(哲学の老大家)
  • 「パリの生活の一断面」: 156(文法学者)
  • 「ルオーについて」: 173(中世フランス語学者), 176(形態学者)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 029

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 297

日記

  • 1970/12/29: 5-368

[事項][場所][東京]学習院

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1954/2/16: 118

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/5/15: 370
  • 1967/5/26: 373

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 012

日記

  • 1971/2/25: 5-393

[語彙]覚醒、目醒める

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 023(精神の覚醒)
  • 1954/1/5: 113(目醒めた)
『流れのほとりにて』
  • 1958/2/15: 425(日本人で思考に目醒めていくもの)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 007
『砂漠に向かって』
  • 1963/9/13: 229(目醒めて行く), 230(目醒めはじめた)
  • 1967/6/6: 396(目醒めつつある)
  • 1967/6/10: 419(目醒めなければならない)
  • 1967/6/14: 430(怠惰なうたたねから目醒める)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「遥かなノートルダム」: 108
  • 「滞日雑感」: 226(人の感覚を目ざめさせる場所)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 101(深い責任意識の覚醒)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 126(性の目醒め)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 193, 200(異国で目醒めたこの感覚), 201

[語彙]学問、学究、学芸、研究

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/14: 032
  • 1953/10/20: 056
  • 1953/10/24: 069
  • 1953/12/25: 081, 086, 087
  • 1953/12/26: 092(仕事(研究))
  • 1954/1/5: 113
  • 1954/2/16: 118
  • 1956/3/24: 129(芸術、学問、宗教)
  • 1956/3/26: 140(煩瑣な考証的研究)
  • 1956/3/27: 143(デカルト研究)
  • 1956/5/9: 165(実証的研究), 167(科学的文学研究)
  • 1956/8/30: 189(生物の研究)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/16: 212
  • 1957/6/1: 279(研究)
  • 1957/6/27: 307(ヨーロッパの学問の本当の意味)
  • 1957/7/5: 308(学問的見地)
  • 1957/7/29: 337, 338
  • 1958/2/10: 420(本当の学問), 421
  • 1958/2/15: 424(分析的な研究方法の勝利)
  • 1958/2/17: 428

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/4: 033
  • 1958/11/12: 045(「研究」)
  • 1958/12/16: 065
  • 1958/12/25: 071(研究)
  • 1959/8/19: 095(愛情、欲望、学問、仕事など)
  • 1959/10/11: 152(仕事とか研究とかという高尚なこと)
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 184
  • 1963/4/13: 207
  • 1965/12/5: 254
  • 1966/1/10: 266(吾十有五而志于学)
  • 1966/1/12: 270(研究)
  • 1966/9/5: 288(学問上の問題)
  • 1966/9/8: 293(非学問的)
  • 1966/9/14: 296(生徒の学究心)
  • 1966/9/14: 298(東洋史の学習)
  • 1966/11/27: 309(日本のフランス学の研究)
  • 1967/3/11: 329(研究計画)
  • 1967/3/16: 330(哲学的研究)
  • 1967/3/18: 332(研究発表), 333(知識的研究)
  • 1967/3/28: 340(研究)
  • 1967/4/6: 351(言葉そのものの研究), 352(将来の研究)
  • 1967/4/19: 362(研究)
  • 1967/5/14: 369(聖徳太子の研究)
  • 1967/6/3: 385(研究段階)
  • 1967/6/27: 445(ヴァレリー詩学
  • 1967/8/21: 452(芸術とか学問とか、そういう高尚なこと), 453

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 013, 034(研究)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 054, 059(研究)
  • 「遥かなノートルダム」: 080(「驚くべき学問の根底」)
  • 「パリの生活の一断面」: 135, 137, 141(学問めいたもの), 142(学問研究), 157, 160(学問の進歩), 162
  • 「ルオーについて」: 176
  • 「滞日雑感」: 232
  • あとがき: 243(学問的論文)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 037, 043, 052
  • 「旅の空の下で」: 099(研究活動)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 105(ヨーロッパを対象とする学問と大学), 116(学術の研究と教育)
  • 「文化の根というものについて」: 161(ヨーロッパの学問と思想との深さと厳しさ), 163(思想研究), 164-165, 167(研究), 168(フランスに於ける学問の基礎的条件), 174, 175(学究), 178(本当の学問), 180, 182
  • 「偶感」: 240
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 259(研究)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 101
  • 「わが思索わが風土」: 190(学究生活), 197
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 298(学問の自由)
  • 「三十年という歳月」: 309(学位論文), 317(私の専門の研究), 318(私のささやかな研究)

[事項][文学][日本]蜻蛉日記日本文学

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/3/26: 140

日記

  • 1956/12/29: 1-515
  • 1970/2/25: 5-329

[語彙]過去歴史

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 008
  • 1953/10/14: 032(過去の虚像)
  • 1953/10/18: 046
  • 1953/10/19: 048
  • 1953/10/20: 060, 061(過去の黄昏)
  • 1953/10/22: 065(過去の映像)
  • 1954/2/16: 116, 117-118(かなしみとむごたらしさの堆積している僕の過去)
  • 1956/3/24: 128(僕の全過去)
  • 1956/3/26: 136, 137
  • 1956/4/1: 150-151(僕そのものの過去), 152(モンテーニュ個人の過去)
  • 1956/5/10: 169(過去に向かって進んでいく汽船の船尾)
  • 1956/9/2: 193
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 227
  • 1957/4/27: 270
  • 1957/6/27: 305(遥かな過去の黄昏), 306(僕の過去の歴史)
  • 1957/7/7: 315(厖大な過去の探求), 316(厖大な過去の伝統)
  • 1957/7/18: 322, 324
  • 1957/8/19: 341
  • 1957/8/22: 346
  • 1957/9/15: 375(本当に終結した過去), 376(完全に終わった過去)
  • 1957/9/30: 392
  • 1957/12/29: 405(過去七年)
  • 1958/1/1: 407(過去八年)
  • 1958/2/16: 427
  • 1958/2/24: 432, 433, 434(日本の過去の文化的所産に表われた感性の通時的(diachronique)特性と内容), 435
  • 1958/3/7: 439(過去の全体)
  • 1958/3/14: 445(過去の思索の重み)
  • 1958/4/30: 464

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 013
  • 1958/8/3: 020
  • 1958/11/4: 032, 035, 036
  • 1958/12/13: 058
  • 1958/12/14: 063
  • 1958/12/27: 075(過去を後悔しない), 076
  • 1959/1/3: 087
  • 1959/9/28: 128
  • 1959/10/3: 142(僕の過去全体)
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 165(過去の世界の中の存在), 171(自分の貧しい過去の色ガラス), 188
  • 1963/4/13: 202(過去の人々)
  • 1963/9/17: 239(過去に蓄えた数々の映像)
  • 1965/12/30: 258(過去十何年かの間)
  • 1966/1/10: 268
  • 1966/1/26: 276
  • 1966/3/28: 277(過去のパリで過ごした年月)
  • 1966/9/5: 288(過去十六年)
  • 1966/9/14: 297-298(過去からの解放), 299
  • 1966/11/27: 309
  • 1967/4/6: 353(過去を大きく取り戻すこと)
  • 1967/4/22: 365
  • 1967/5/28: 380(過ぎ去った過去の生の諸形態)
  • 1967/6/5: 390(過去の噴出)
  • 1967/6/9: 415
  • 1967/8/30: 460(過去のエヴォカシオン)
  • 1967/8/31: 480-481(過去の映像), 482(過去の私)
  • 1967/11/4: 493(その人の全過去が構成しているもの)
  • 1967/11/7: 495(私の背後にある全過去), 496(過去と現在と未来)
  • 1967/11/14: 500(人類の全過去)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 014, 033
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 041, 045(過去の闇), 049-052(自分の過去), 055(過去一世紀), 057, 063, 068, 070, 073
  • 「遥かなノートルダム」: 089-090, 092, 093(過去のなつかしい追憶), 094(たそがれのような色調の過去)
  • 「ある夏の日の感想」: 123(過去と伝統)
  • 「パリの生活の一断面」: 163-164
  • 「ルオーについて」: 184, 208
  • 「思索の源泉としての音楽」: 210(過去数十年の私の半生), 212
  • 「滞日雑感」: 223(過去四十年間), 233(過去一世紀), 237(過去の延長), 240-241(過去の情念)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 018, 033, 042, 046, 048, 060, 063(過去の一世紀), 068
  • 「旅の空の下で」: 099(自分の過去の営み)
  • 「文化の根というものについて」: 165, 168(フランスは過去の国), 173, 179
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 186-188, 199
  • 「初秋のパリから」: 220(過去の意識), 221
  • 「偶感」: 235
  • 「シャルトルと法隆寺」: 254, 255
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 281(過去の感銘), 282(過去の印象), 283(遥かなる過去)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 018, 035(本当の意味での過去を大切にすること), 041
  • 「木々は光を浴びて、……」: 055
  • 「パリで中国を想う」: 111, 125(日本の過去の行動), 130
  • 「大陸の影の下で」: 143, 148, 154
  • 「わが思索わが風土」: 183-184
  • 「パリ」: 273
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「八月十五日の感想」: 288
  • 「現下の時点にあたって思う」: 296
  • 「三十年という歳月」: 305(過去三十年), 309(日本の過去), 314, 318(過去の苦しみ)

[語彙]家族、家庭→祖母息子親子家、家の問題

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 007
  • 1956/8/5: 171(家庭)
『流れのほとりにて』
  • 1958/4/22: 453

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 011
  • 1958/12/14: 062
  • 1959/9/1: 114
『砂漠に向かって』
  • 1963/4/13: 207
  • 1963/9/7: 213(家族)
  • 1963/9/17: 238(家族の雰囲気)
  • 1965/12/29: 255(家庭生活)
  • 1966/12/1: 316
  • 1967/3/11: 329
  • 1967/3/18: 353(家庭の諸問題)
  • 1967/4/8: 354(家庭), 355(家庭に関する法律上の問題)
  • 1967/4/19: 362(家庭)
  • 1967/4/22: 363(家庭的問題)
  • 1967/6/9: 415(自分の家族に対する愛と憎しみとの只ならぬ交替)
  • 1967/6/28: 447(典型的なブルジョワの家庭)
  • 1967/11/3: 485(家族や友人達)
  • 1967/11/4: 491(家族)
  • 1967/11/8: 497(家族のこと)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 120(義兄), 132(親類)
  • 「ルオーについて」: 195(稚い子供のいる家族), 200
  • 「思索の源泉としての音楽」: 211(家族)
  • 「滞日雑感」: 240(家族主義的心情)

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 032(古い家族主義), 033(家族的), 038(一家、夫婦関係), 048(家族主義), 050(家庭), 060
  • 「旅の空の下で」: 098(家庭の問題)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 047
  • 「感想」: 216
  • 「パリ」: 265, 265-270
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 316(ささやかな家庭が作られたこと)

[語彙]形→フォルム

[語彙]克己

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/15: 036(克己と規律と仕事)
  • 1956/3/24: 129(自己に克とう)
  • 1956/3/27: 144(東洋流の克己心)
  • 1956/3/30: 146(忍耐と克己)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/21: 248
  • 1957/6/3: 282(自分に克つこと)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 008
『砂漠に向かって』
  • 1965/12/29: 255(打ち克たなければならない自分)
  • 1966/1/10: 265(自分に克つだけである)
  • 1966/9/18: 301(自分に克つこと、ただそれだけ)
  • 1967/6/18: 436(自己制御)
  • 1967/8/31: 488(自己の自己に対する戦闘)
  • 1967/11/8: 497(自分との戦い)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 049(相手に勝つということは本当は自分に勝つことだ)
  • 「遥かなノートルダム」: 095(自己の自己に対する不断の戦い)
  • 「ルオーについて」: 190

集成4

『旅の空の下で』
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 275(自己に克って築き上げたあらゆる精神的なもろもろの価値)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「感想」: 222
  • 「パリ」: 276(自己に打ち克つこと)
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 299(自己を支配克服すること)

[語彙]学校→暁星学校、東京大学、東洋語学校

[人名][日本]加藤周一

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/9/7: 291
  • 1967/6/10: 418

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「思索の源泉としての音楽」: 217
ノートルダム寺院を主題にする」

日記

  • 1959/6/18: 2-538

[事項][宗教]カトリック、カトリシスム→キリスト教

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 022(僕はカトリックではない), 024(中世以来のカトリシスム)
  • 1953/10/22: 064
  • 1953/10/24: 071(中世カトリシスムのマリアとキリストとに対する信仰)
  • 1953/12/26: 093
  • 1953/12/27: 105(カトリックウェストミンスター
  • 1956/9/2: 198
『流れのほとりにて』

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/24: 069
  • 1959/8/25: 109
  • 1959/9/6: 119
  • 1959/9/7: 124
『砂漠に向かって』

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 030-031, 033-034
  • 「パリの生活の一断面」: 143, 161
  • 「ルオーについて」: 178, 185, 205-206
  • 「思索の源泉としての音楽」: 211
  • 「滞日雑感」: 227
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 075
  • 「文化の根というものについて」: 162, 172, 177
  • 「初秋のパリから」: 217

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「わが思索わが風土」: 186
  • 「パリ」: 261, 267

日記

  • 1957/5/20: 1-555
  • 1959/3/15: 2-509
  • 1959/3/16: 2-510
  • 1959/3/24: 2-525
  • 1964/9/15: 3-375(第二ヴァチカン公会議が始まる)
  • 1965/3/17: 3-394-395(夢の中で僕はカトリックに改宗していた)
  • 1967/12/25: 3-477
  • 1971/4/2: 5-418
  • 1972/12/29: 5-493
  • 1974/6/3: 5-504

[語彙]かなしみ、悲しみ、悲哀、かなしさ、悲しい

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 008
  • 1953/10/9: 013(感傷的なかなしさ), 014(悲しい音楽), 016, 017(悲哀)
  • 1953/10/13: 026(悲しい経験), 028(凄まじい悲しみ), 029(無限の悲しみ), 030
  • 1953/10/14: 031(悲しみの影)
  • 1953/10/15: 037(悲しい一日)
  • 1953/10/18: 046(内心の寂寥と孤独と虚無)
  • 1953/10/19: 055
  • 1953/10/20: 061
  • 1953/10/31: 079(本当のかなしみ)
  • 1953/12/25: 085(無限のかなしみ)
  • 1954/1/5: 107
  • 1954/2/16: 117(運命と結びついた悲しみ), 118(本当のかなしみ), 119(かなしみの本態), 120(空間のかなしみ), 121
  • 1954/3/3: 125(ドストエーフスキーのかなしみ)
  • 1956/3/24: 128, 130
  • 1956/3/30: 146(悲しみの音楽)
  • 1956/4/1: 149(寂寥)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 222, 227(寂寞の感)
  • 1957/4/19: 231
  • 1957/4/20: 241(寂寥の感)
  • 1957/4/28: 270(無限の悲しみ), 271
  • 1957/6/1: 275(悲しみに崩れていく情感とそれに耐えていく意志)
  • 1957/6/3: 285(深い深いかなしみ), 286(かなしみの記憶)
  • 1957/6/10: 290
  • 1957/6/14: 299(何だか悲しくてたまらない)
  • 1957/6/27: 305, 306, 307
  • 1957/7/5: 312
  • 1957/7/20: 328, 329
  • 1957/8/19: 343(深い悲しみ)
  • 1957/9/13: 365(無関心、悲哀、憧憬、絶望が混合したような、妙な気持)
  • 1958/2/2: 410(白々とした悲しみ)
  • 1958/3/6: 438

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 030
  • 1958/11/19: 048, 049(悲しいコンプレックス)
  • 1959/10/2: 140
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 179(わびしさ)
  • 1963/4/13: 205(わびしさ、あるいはかなしみの本体)
  • 1963/9/13: 230(深いかなしみ)
  • 1966/11/30: 315(内面の虚しさと悲しみ)
  • 1967/3/31: 349(名状し難い悲しみ)
  • 1967/5/28: 379(悲しみと孤独)
  • 1967/6/9: 416(言葉で表わせぬ悲しみ)
  • 1967/8/30: 456(かすかな、把えがたい悲しみ) 457(悲しみに似た想い), 458(地中海の「かなしみ」), 460(過去のよろこびやかなしみ)
  • 1967/11/3: 486(喜びと悲しみと憧憬との一つの世界)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 067
  • 「ある夏の日の感想」: 121, 130
  • 「思索の源泉としての音楽」: 212(悲哀)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「文化の根というものについて」: 181
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 195(どんな憂鬱で甘美な旋律も体現しえない悲しみそのもの), 196(理由のない悲しみ)
  • 「初秋のパリから」: 213-214(「心のかなしみ」INQUE TUM COR), 217

日記

  • 1965/9/2: 3-421(悲しみとも絶望とも何とも判らない気分)

[語彙]金、金銭

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 020(日本へかえる旅費)
  • 1953/10/14: 031
  • 1953/12/26: 091(三十フランのカフェー・オーレー)
  • 1953/12/27: 095(三食付で三〇ペセタ(二七〇、八〇フラン)のパンシオン代), 101
  • 1956/4/6: 153
  • 1956/9/3: 204(月給)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 227
  • 1957/7/18: 325(金銭の崇拝)
  • 1957/12/29: 405(二万五千フラン以上もする腕時計)
  • 1958/4/27: 456(金をとること)
  • 1957/6/1: 274(為替)
  • 1957/7/18: 325(金銭の崇拝)
  • 1957/8/23: 348(ドラクマ換算)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 189(アランの自叙伝の日本訳の印税)
  • 1966/12/2: 317
  • 1967/3/11: 329
  • 1967/4/8: 355(金銭上の問題)
  • 1967/4/23: 367(多くの時間と労力と金)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 013(金を溜めるこつ)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 067
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「『ことば』について」: 150(金の必要), 152
  • 「初秋のパリから」: 213

日記

  • 1956/11/17: 1-506
  • 1960/9/17: 2-549
  • 1960/10/1: 2-561
  • 1960/10/20: 2-563
  • 1960/10/21: 2-564
  • 1970/11/30: 5-352
  • 1971/1/12: 5-375
  • 1971/4/2: 5-420
  • 1971/4/30: 5-459
  • 1976/6/6: 5-528

[人名][文学]カフカKafka, Franz

[場所][日本]鎌倉

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/23: 103
『砂漠に向かって』
  • 1967/3/30: 346(鎌倉海岸)
  • 1967/8/31: 481(金沢街道)
  • 1967/11/4: 491(病気で鎌倉で保養していた時), 492(鎌倉の光にみちた広い空)

集成3

『遥かなノートル・ダム』

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 094(片瀬)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 257

[語彙][宗教]、神性→宗教

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 021(「我らの避け所なる神」)
  • 1953/10/17: 040
  • 1953/10/18: 046(女性から天使に、天使から神にまで)
  • 1953/10/19: 050(神の愛の宇宙的な支配), 052
  • 1953/10/24: 070, 071(若いバッキュス神)
  • 1953/10/31: 076(神様)
  • 1953/12/27: 099(神の祝福)
  • 1954/2/16: 120(普遍と個性と神性との問題)
  • 1956/3/27: 142(神の存在証明)
  • 1956/4/1: 151(有限の人間が無限の神に帰依する、という事実)
  • 1956/4/12: 162(神の誕生)
  • 1956/9/2: 198(神への信仰)

『流れのほとりにて』

  • 1957/4/22: 255(パウロの言った「すべての名の起る源なる神」)
  • 1957/6/10: 291
  • 1957/7/5: 310(神性)
  • 1957/7/8: 319(神像), 320(神々)
  • 1957/7/20: 333(ギリシアの神々)
  • 1957/7/18: 323(動物神)
  • 1957/7/20: 330-333(神々)
  • 1957/9/14: 369(唯一の真の神)
  • 1957/9/15: 371(人間が次第に神の姿に近づくということ), 373(神と人と物とのこの見事な統一)
  • 1957/9/30: 396(神に属する何か)
  • 1958/4/30: 466

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 029
  • 1958/11/11: 042
  • 1958/12/14: 061, 063
  • 1958/12/25: 071
  • 1958/12/28: 079
  • 1959/1/3: 088(彼岸から投げられた神の影)
  • 1959/8/19: 096
  • 1959/8/23: 103(Dieu)
  • 1959/8/25: 110
  • 1959/9/28: 126-127
  • 1959/10/2: 135-138
  • 1959/10/3: 144
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 167, 190
  • 1963/9/7: 214
  • 1963/9/10: 225(ヴェスタの神殿), 228
  • 1963/9/13: 233, 237(神と律法と人間の熱情)
  • 1965/12/31: 262(神の存在)
  • 1967/3/31: 349
  • 1967/6/4: 390(殆ど神のようだといってもいい)
  • 1967/6/8: 408(真の神を信ずる者達の「品位」)
  • 1967/6/10: 419(神の不可見の偏在の表現)
  • 1967/6/11: 422(神の命令)
  • 1967/6/14: 430(無神論者)
  • 1967/6/16: 432
  • 1967/6/18: 435(永遠の神)
  • 1967/6/27: 445(神の創造した無垢の被造物)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 017(神の本体論的証明), 031(無神論), 032
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 051(「ロシアの神」)
  • 「ある夏の日の感想」: 122, 128(神から流れ出すもの)
  • 「ルオーについて」: 172(神の直観), 185-186(「神」), 192(神の本体論的証明), 193-194(「神」), 203, 205-208(「神」)
ノートルダム寺院を主題にする」
  • 「黄昏のノートルダム」: 270(川の神), 279(神の子), 286, 290(人間の肉を帯びた神の弱さ)
  • 「遠ざかるノートルダム」: 295
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 190, 196
  • 「初秋のパリから」: 214

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 054
  • 「旅の空の下で」: 074, 080, 090(神なき黙示録的終末)
  • 「文化の根というものについて」: 177(哲学的無神論
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 196
  • 「初秋のパリから」: 216
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 277(「隠された神」), 283(「我々はある一つの神の先祖である」)

集成5

「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「三十年という歳月」: 314(凡ての人の神の前における平等)

日記

  • 1964/12/13: 3-390-391
  • 1965/3/17: 3-394
  • 1965/3/18: 3-400
  • 1967/11/30: 3-436
  • 1967/12/1: 3-438-440
  • 1967/12/4: 3-441
  • 1967/12/6: 3-444
  • 1967/12/15: 3-449
  • 1967/12/18: 3-454
  • 1967/12/24: 3-470
  • 1967/12/26: 3-480-481
  • 1967/12/29: 3-497
  • 1967/12/31: 3-507
  • 1968/1/1: 3-513
  • 1968/1/2: 3-516
  • 1968/2/3: 4-500
  • 1968/2/11: 4-508
  • 1968/11/18: 4-540
  • 1969/1/10: 4-546
  • 1969/2/9: 4-554
  • 1969/3/26: 4-559, 561
  • 1969/3/29: 4-563
  • 1970/5/31: 5-341
  • 1970/12/14: 5-354
  • 1970/12/22: 5-355
  • 1970/12/29: 5-368-369(神々)
  • 1971/2/25: 5-396
  • 1971/4/2: 5-419
  • 1971/4/9: 5-428
  • 1971/4/18: 5-449
  • 1972/6/4: 5-487
  • 1972/12/29: 5-493-494
  • 1973/6/19: 5-502
  • 1976/4/19: 5-518-519

[人名][文学]カミュCamus, Albert

[事項][宗教]カルヴィニズムカルヴァンプロテスタント

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「木々は光を浴びて、……」: 052

[場所][パリ]カルティエ・ラタン(カルチェ・ラタン

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 013
  • 1953/12/25: 085
  • 1953/12/26: 092
  • 1956/4/6: 153
  • 1956/4/12: 159
『流れのほとりにて』
  • 1958/2/2: 408(約七年間住みなれたカルティエ・ラタンを去って), 409
  • 1958/2/15: 425
  • 1958/2/18: 430
  • 1958/2/24: 432
  • 1958/4/15: 447

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/8/3: 017
  • 1958/10/10: 026
  • 1958/11/12: 044
  • 1958/12/16: 065
  • 1958/12/27: 076, 077
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 162, 183
  • 1966/1/9: 264
  • 1966/3/28: 278
  • 1967/11/7: 494

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「赤いノートル・ダム」: 113
  • 「ルオーについて」: 182, 203
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 260

日記

  • 1959/3/28: 2-530
  • 1962/9/5: 3-329
  • 1970/12/14: 5-354
  • 1971/3/22: 5-404
  • 1975/7/24: 5-505
  • 1976/6/6: 5-523

[語彙][哲学]感覚

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

  • 1953/10/9: 012, 013, 014, 017(感覚のノスタルジー), 018, 022(魂の感覚), 023
  • 1953/10/13: 025(感覚的色彩)
  • 1953/10/14: 033
  • 1953/10/15: 034, 036
  • 1953/10/17: 039, 040
  • 1953/10/24: 071(直接の感覚)
  • 1953/12/25: 086, 087
  • 1953/12/26: 090
  • 1953/12/27: 095, 096(異性の感覚), 098, 099
  • 1954/1/5: 109(ヨーロッパ的感覚)
  • 1954/2/16: 114, 122, 123
  • 1956/3/26: 138-139(純粋感覚)
  • 1956/3/27: 144(感覚の質), 145
  • 1956/4/1: 149, 150, 152
  • 1956/4/9: 157
  • 1956/4/12: 160
  • 1956/8/5: 172
  • 1956/8/29: 175, 176, 177
  • 1956/8/30: 181, 182
  • 1956/9/3: 204「すべて感覚の中になかったものは、悟性の中にはない」
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/16: 211
  • 1957/4/18: 214, 216-217, 220, 224(純粋感覚), 227
  • 1957/4/19: 236(魂の感覚)
  • 1957/4/20: 238, 239(純粋感覚)
  • 1957/4/21: 244, 247(純粋感覚), 248
  • 1957/4/22: 253
  • 1957/4/25: 259, 260(原感覚)
  • 1957/4/26: 261, 266, 268(純粋感覚)
  • 1957/5/30: 273
  • 1957/6/3: 282, 283, 285
  • 1957/6/10: 288
  • 1957/6/13: 296
  • 1957/6/16: 300, 303
  • 1957/6/27: 307
  • 1957/7/5: 308
  • 1957/7/20: 328
  • 1957/7/25: 335
  • 1957/8/13: 339
  • 1957/8/19: 344
  • 1957/8/22: 345(感覚的要素), 346, 347(感覚の質)
  • 1957/8/23: 348
  • 1957/9/9: 353
  • 1957/9/12: 359
  • 1957/9/13: 362(西欧的感覚)
  • 1957/9/14: 367, 370
  • 1957/9/22: 377, 378
  • 1957/9/22: 381, 383
  • 1957/9/30: 390(感覚の解放), 394
  • 1957/12/29: 403, 404
  • 1958/1/1: 406
  • 1958/2/2: 413
  • 1958/2/9: 419
  • 1958/2/18: 431
  • 1958/2/24: 433(精神の感覚)
  • 1958/3/6: 437(一つの人間的感覚), 438, 439
  • 1958/3/7: 440
  • 1958/3/13: 441, 442
  • 1958/3/14: 445
  • 1958/4/15: 448(全感覚が一せいに目醒める)
  • 1958/4/27: 457(男の感覚)
  • 1958/4/30: 464

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/7/5: 007, 008, 011, 012, 015
  • 1958/8/3: 017, 018, 021
  • 1958/10/10: 027
  • 1958/11/4: 032, 035
  • 1958/11/11: 042
  • 1958/11/19: 048, 052, 053
  • 1958/12/10: 055
  • 1958/12/13: 059
  • 1958/12/14: 061, 064
  • 1958/12/16: 065
  • 1958/12/25: 072
  • 1958/12/31: 080-082
  • 1959/1/1: 085
  • 1959/8/17: 094
  • 1959/8/23: 103-105
  • 1959/8/25: 108-110(感覚の弁証法
  • 1959/9/1: 113
  • 1959/9/6: 121, 122
  • 1959/10/2: 129, 130
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 169(単純な感覚の領域), 170, 171(感覚的経験), 172, 177, 183(感覚的印象), 186-188
  • 1956年 初夏: 197(高度な非感覚性禁欲性)
  • 1963/4/13: 205(感じ), 206-207(感覚の展開), 210(感覚と感動)
  • 1963/9/7: 212(新しい感覚と経験)
  • 1963/9/8: 218(感覚的美しさ)
  • 1963/9/8: 221(何か物凄い感覚)
  • 1963/9/10: 224, 228(新しい感覚)
  • 1963/9/13: 229(感覚の成熟), 234-235
  • 1963/9/17: 239(感覚的真実), 241
  • 1965/8/1: 246
  • 1965/12/4: 250, 251(生命の内面的感覚と充実)
  • 1965/12/5: 255(感覚と経験と思想)
  • 1966/1/3: 263(物に触れるような堅実な感覚)
  • 1966/1/10: 265-266
  • 1966/1/26: 276(感覚的なイマージュ)
  • 1966/3/28: 278(僕の内部の感覚の渦)
  • 1966/8/31: 283
  • 1967/4/11: 358(感覚と想像の節制)
  • 1967/4/17: 360(感覚の開華)
  • 1967/5/28: 378(絶望的な感覚)
  • 1967/6/9: 411(砂漠の重い歩みの感覚)
  • 1967/6/12: 425
  • 1967/6/14: 430(人々の無感覚)
  • 1967/8/30: 456, 459(感覚と生活、言いかえれば経験)
  • 1967/8/31: 476(感覚の繰り返し、あるいは再確認) 477(外部感覚), 480, 481(感覚的条件), 482(未知の空の下に、自分が喪われて行くような感覚), 484(人間の感覚)
  • 1967/11/3: 486-487(殆ど透明と言ってよい純粋な感覚)
  • 1967/11/7: 495
  • 1967/11/14: 499, 500(感覚化)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」:011
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 053, 073
  • 「遥かなノートルダム」: 079, 081, 099(この感じ), 107
  • 「赤いノートルダム」: 111(感覚の交流), 112(短期で感覚的な、激しやすい性格)
  • 「ある夏の日の感想」: 119, 121-122, 124(感覚の堆積), 127(感覚的経験), 128(内面的感覚)
  • 「パリの生活の一断面」: 147-148, 159
  • 「ルオーについて」: 170-171, 181(若いリールケの感覚), 182, 185(感覚の形質), 204(文学的であるには余りに直接の感覚), 208(感ずる)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 213
  • 「滞日雑感」: 222, 226, 234, 240(感じ)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 018, 025, 029, 035, 042, 043, 056-057
  • 「旅の空の下で」: 080, 086, 093, 094, 098(「感覚」)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 121(「感覚」), 123
  • 「『ことば』について」: 143, 149, 152
  • 「文化の根というものについて」: 176(感覚主義), 177, 178, 179(感覚的形態), 180-182
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 188, 190, 192, 200, 201(感覚的映像)
  • 「初秋のパリから」: 216, 217(人間感覚), 218-219, 221, 226
  • 「偶感」: 236, 237, 240, 241, 243
  • 「シャルトルと法隆寺」: 247
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 262-263(感覚の騒乱), 264(「感覚」), 265(感覚のしん), 266(「感覚」), 267-269, 272(音の感覚), 273-274(「感覚」), 275(感覚的な美しさ), 276-277(感覚の集合と解体の過程), 278

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 028, 042, 046
  • 「木々は光を浴びて、……」: 054-056
  • 「暗く広い流れ」: 086, 093(充実した生命の現実感覚の目ざめ)
  • 「パリで中国を想う」: 123(感覚的)
  • 「大陸の影の下で」: 149, 177(非感覚的)
  • 「わが思索わが風土」: 196
  • 「感想」: 225
  • 「パリ」: 263
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「故国の情感」: 281

[語彙]感傷、感傷性

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

  • 1953/10/9: 013
  • 1956/4/1: 151
  • 1956/4/9: 155
  • 1956/4/12: 161, 162

『流れのほとりにて』

  • 1957/4/18: 214
  • 1957/4/21: 244, 245
  • 1957/6/16: 301
  • 1957/12/29: 405(古い感覚と感傷との燃焼)
  • 1958/4/30: 465(感傷と感動との区別)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1959/8/23: 103
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 171(それが「好き」だという甘い感傷)
  • 1956年 初夏: 196(感傷の対象)
  • 1956/7/15: 200
  • 1963/9/7: 215
  • 1966/9/18: 302-303(単なる感傷)
  • 1966/11/27: 307
  • 1967/3/1: 319(感傷的要素)
  • 1967/6/6: 394(自分の性格の感傷性の大きいこと)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 124
  • 「ルオーについて」: 203, 207

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 103
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 206
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 277

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「暗く広い流れ」: 091, 100, 102-103
  • 「大陸の影の下で」: 177(非感傷的)
  • 「感想」: 214

[語彙][哲学]感情→情念

[人名][哲学]カントKant, Immanuel

[事項][日本]関東大震災

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 036(大正大震災)

日記

[事項][言語]漢文、漢語、漢学、漢字→孔子『史記』『詩経』孟子『論語』

集成1

『流れのほとりにて』

  • 1958/2/18: 430(漢字)

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/26: 075(古代の日本人が中国語を学んだ仕方)
  • 1958/12/31: 081
『砂漠に向かって』
  • 1963/4/13: 206(漢学)
  • 1966/1/3: 263(漢和辞典
  • 1966/9/8: 294
  • 1966/9/14: 296-299(漢学系、仏典系の漢文学
  • 1966/12/1: 315
  • 1967/3/9: 321
  • 1967/3/10: 325(漢語)
  • 1967/3/16: 329
  • 1967/3/19: 334
  • 1967/5/15: 370
  • 1967/6/3: 385(漢字)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 059, 060
  • 「遥かなノートルダム」: 085
  • 「パリの生活の一断面」: 140(国漢), 145, 155-156

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 043(漢語)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 109(漢学の教師)
  • 「『ことば』について」: 145(漢字の制限とか仮名づかいの統一とか), 146(漢字、漢文の用法)
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 203(漢文そのものの日本化)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「感想」: 237, 238, 239

日記

  • 1957/2/17: 1-540
  • 1959/3/15: 2-507(「四書」)
  • 1959/6/23: 2-543
  • 1964/7/25: 3-353
  • 1964/11/1: 3-377
  • 1964/11/26: 3-381
  • 1965/3/4: 3-393
  • 1965/3/18: 3-397
  • 1965/3/21: 3-403-404
  • 1965/3/29: 3-405
  • 1965/3/30: 3-408
  • 1967/12/14: 3-445
  • 1967/12/30: 3-500
  • 1967/12/31: 3-508
  • 1968/1/15: 4-489
  • 1968/4/10: 4-528
  • 1969/2/26: 4-555
  • 1969/3/29: 4-562
  • 1970/2/25: 5-328-329
  • 1971/4/3: 5-420-421
  • 1971/12/13: 5-468

[人名][日本]菅野昭正

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/6/11: 422-423(菅野昭正君と夕食)

日記

  • 1968/3/3: 4-521

[場所]カンボジアアンコールワット

集成4

『旅の空の下で』
  • 「一九六八年の夏の反省」: 109

日記

  • 1968/10/22: 4-531-532
  • 1971/1/11: 5-372